農業――見えない材料「水」

水は農業にとって最も重要な「材料」のひとつですが、実際の料理の皿の上に姿を見せることはほとんどありません。穀物、野菜、果物、肉、牛乳、卵、そのほか多くの農産物は、生産のどこかの段階で安定した水の供給に支えられています。この隠れた依存度は非常に大きく、世界の淡水利用の約70%が農業によるものだとされています。

そのため農業とは、土や種、太陽光の物語であると同時に、河川や湿地、雨、地下水の物語でもあります。どの収穫も、水がどのように管理され、どこから来て、どれだけを利用しても生態系を損なわないのかという点にかかっています。なぜなら生態系こそが、そもそも生命を支える土台だからです。

農業とは、食料やその他の製品を得るために植物を栽培し、家畜を飼育する営みです。そのためには、作物の生長には水分が欠かせず、家畜の飼育にも水が必要で、多くの農業地域では降雨だけでは足りない場合や雨が不安定な場合に灌漑に頼っています。

雨が安定して降らない地域では、水管理がとりわけ重要になります。ある地域では、降雨を補うために灌漑を行い、別の地域では翌年の土壌水分を確保するために、あえて土地を1季節休ませることもあります。亜熱帯や乾燥地域では、農業ができる時期や規模が降雨量に左右され、灌漑がなければ年に複数回の作付けが難しくなることもあります。

農業が世界の淡水の大きな割合を使っている理由は、こうした事情からも説明できます。農地が広がっているだけでなく、植物の生長そのものが水の利用可能性と深く結びついているからです。水が不足したり、必要な時期に降らなかったりすると、収量は落ちてしまいます。

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灌漑に潜む見えない代償

灌漑は、雨だけでは足りない地域でも農業を可能にしますが、必ずしも無条件で良いことばかりではありません。現在の世界の灌漑用水利用の推計41%は、本来なら環境のために河川や湿地などに残しておくべき「環境流量」を犠牲にして成り立っています。

環境流量とは、河川や湿地、そのつながった生態系が健全に機能し続けるために、自然の中に残しておかなければならない水のことです。灌漑のために多くの水が取水されすぎると、こうした自然システムが傷つきます。魚類の個体数、湿地、生物多様性、水質などは、河川に十分な流量が届かなくなると影響を受けます。

十分な食料を生産しながら、自然の中にも生態系維持に必要な水を残す――このせめぎ合いこそ、現代農業を特徴づける大きな課題のひとつです。

この問題は、農業以外の分野でも淡水需要が高まっていることで、さらに深刻になっています。水を使うのは農業だけではありません。工業や都市も水資源へのプレッシャーを強めています。こうした競合が増す中で、農業は、水資源が限られる状況にありながら、増え続ける人口を養うためにより多くの食料を生産しなければならないという課題に直面しています。

帯水層:目に見えない水源

農業用水は、必ずしも河川やダムだけから来るわけではありません。その一部は、地下の岩石や堆積物の層にたまった水である「帯水層」から供給されています。帯水層は巨大な「見えない貯水池」として働き、地表水が限られるときに農地へ水を届けています。

しかし、これらの貯水は無制限ではありません。中国北部、上ガンジス流域、アメリカ西部、イラン、メキシコ、サウジアラビアなどの帯水層では、地下水の枯渇が進んでいます。つまり、自然に補給される速度よりも速いペースで水がくみ上げられているのです。

帯水層の枯渇がとくに深刻なのは、地下水が、もともと水ストレスが高い地域の農業を支えていることが多いからです。こうした地下の備蓄が使い尽くされると、農業はますます脆弱になり、その影響は経済や地域社会、生態系にまで波及していきます。

水不足が農業の姿を変えつつある

水資源への圧力は、さまざまな方向から同時に高まっています。農業は、増大する淡水需要と、干ばつや洪水、極端な豪雨などの降水異常、さらに雨頼みの農地や放牧地での極端気象に直面しています。

「雨頼み農業(天水農業)」は、主に自然の降雨に依存し、灌漑にほとんど頼らない農業形態です。降雨パターンが不安定になると、農家は「水が少なすぎる」と「多すぎる」という両方のリスクにさらされます。干ばつは収量を減らし、一方で洪水や極端な豪雨は農地を傷め、土壌侵食を引き起こします。

こうして農業は苦しい板挟み状態に置かれています。2010年以降、都市による取水はわずかな増加にとどまり、工業用水の取水はここ数十年減少している一方で、農業用水の取水はより速いペースで増え続けているからです。同時に、気候変動に伴う混乱が、水の供給をいっそう予測しづらくしています。

その結果、農業は、より少ない水でより多くを生産する方法を見いださなければならなくなっています。

水の使い方が土地を傷つけるとき

農業における水問題は、水不足だけに限りません。不適切な灌漑は土地そのものも傷めます。農業用水の利用は、土壌の塩類集積(塩害)や過湿(湿害)を引き起こすことがあります。

塩類集積(塩害)は、主に灌漑によって土壌中に塩分が蓄積していく現象です。時間が経つと土壌の肥沃度が低下し、作物が育ちにくくなります。過湿(湿害)は、土壌に水が多すぎて空気がほとんど入らなくなり、根の周りの酸素が不足して植物の生長を妨げる状態です。

また、農業は自然の湿地に影響を及ぼしたり、水管理が不適切な場合には水系を通じて広がる感染症のリスクを高めたりすることもあります。つまり水が「ある」かどうかだけでなく、「どう使うか」が極めて重要なのです。

栄養塩の流出と水質汚濁

もうひとつの大きな問題は、水が農地から何を「運び出しているか」です。化学肥料の過剰施用や過度な家畜ふん尿の散布、高密度の家畜飼養は、農地からの栄養塩の流出や浸出を招きます。

流出とは、雨や灌漑水が農地表面を流れる際に、栄養分を河川や湖、湿地へと押し流してしまう現象です。浸出は、栄養分が土壌中を下方へ移動し、最終的に地下水へと達することを指します。主な栄養塩は窒素とリンです。

これらの栄養塩は、水生生態系に富栄養化を引き起こします。富栄養化とは、水が過剰な栄養で満たされることで、藻類の異常増殖(アオコなど)や貧酸素・無酸素状態(アノキシア)を招く現象です。藻類が急激に繁殖し、水中の酸素が極端に低下すると、魚類の大量死、生物多様性の損失、飲用や工業利用に適さない水の発生などにつながります。

このように、農業と水の関係は一方通行ではありません。農業は水に依存している一方で、水系もまた農業のやり方に深く影響を受けているのです。

気候変動が水管理を難しくする

気候変動と農業は密接に結びついています。気候変動は平均気温や降水パターン、暴風雨や熱波といった極端現象を変化させることで農業に影響を与えます。また、病害虫の発生状況や水資源の利用可能性にも影響します。

地球温暖化はすでに農業に影響を与えており、その影響は世界各地で一様ではありません。人為的な温暖化は過去50年間、中緯度および低緯度地域における農業生産性の伸びを鈍化させてきました。これは水の面でも重要です。降雨パターンの変化や極端現象の増加により、ある地域では灌漑への依存度が高まり、別の地域ではその信頼性が低下する可能性があるからです。

また、海の温暖化は、野生の一部の魚類資源の持続可能な漁獲量をすでに減らしており、海洋酸性化と温暖化の進行は養殖される水産物にも影響しています。とくに脆弱な人々にとって、気候変動は食料不安のリスクを高めると見込まれます。

要するに、水管理はもはや農家だけの技術的課題ではありません。世界の食料安全保障を左右する中核的なテーマになりつつあるのです。

農業はもっと効率よく水を使えるのか

一方で、より良いツールが役に立ち始めている兆しもあります。近年の精密農業の技術革新により、水分状態のモニタリングや給水の自動制御が可能となり、水のより効率的な利用につながっています。

精密農業とは、テクノロジーやデータを活用し、投入資材の管理をきめ細かく行う農業手法のことです。水について言えば、「一律に灌漑する」のではなく、圃場の状態を詳細に把握し、「どこに・いつ・どれだけ」水が必要かを見極めて供給することを指します。

農業の自動化も助けになります。自動化には、機械、センサー、デジタルツールなどが含まれ、診断や意思決定、作業の遂行精度を高めます。とくにセンシングや早期警戒に活用されると、加速する気候変動に伴う不確実で予測しにくい気象条件に、農家がより柔軟に対応できるようになります。

その潜在力は大きいとされています。国際食糧政策研究所(IFPRI)の2014年の報告書によると、複数の農業技術を組み合わせて導入した場合、単独で用いるよりも食料生産への効果が最大化される可能性があります。11種類の技術を組み合わせて分析したモデルでは、飢餓リスクにさらされる人々の数を最大40%減らし、食料価格もほぼ半減させられる可能性が示されています。

いちばん先に変えるべきものは何か

農業は、常に水によって形づくられてきました。古代文明は河川と灌漑システムに依存し、現代農業は地表水と地下水の両方に頼っています。しかし、今日ほどそのプレッシャーが強まった時代はありません。

淡水資源は逼迫しています。環境流量は削られ、帯水層の枯渇は進行し、気候の極端現象は増えています。都市や産業は、農業と同じ水をめぐって競い合っています。それでも、農業は世界中で数十億トンの食料を生み出し、農村経済を支える不可欠な存在です。

だからこそ、水はフードシステムにおける「最も重要な見えない材料」と言えるのです。水は、農業と生態系、気候、公衆衛生、そして食の未来そのものを結びつけています。

本当の課題は、「もっと多くの水を使って、もっと多くの食料を作る」ことではありません。河川を枯らさず、帯水層を使い果たさず、土地や生態系を傷つけることなく農業を維持・発展させる――そんな水の使い方をどう実現するかが問われているのです。

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