農業――農薬のトレッドミル

現代農業は食料生産を飛躍的に増やしてきましたが、その中で最も厄介な問題のひとつは今もなお続いています。それが「害虫」です。昆虫、雑草、ダニ、植物病害などは、作物を傷めて収量を減らし、農家の暮らしを脅かします。何十年もの間、農薬はそれらと闘うための主要な手段のひとつとされてきました。

しかし、ここには大きな落とし穴があります。世界の農薬使用量は1950年以降急増し、現在では年間約250万ショートトンに達していますが、害虫による作物被害は全体としてほぼ横ばいのままです。この逆説的な状況は、しばしば「農薬トレッドミル」と呼ばれます。農家が農薬を使って害虫を防除すると、害虫は抵抗性を進化させ、その結果としてさらに多くの農薬が使われるようになる――という循環です。

一見すると効率的に思えますが、実際には、コストがかかり、一度入り込むと抜け出しにくく、人間と環境の双方にとって危険なサイクルになりかねません。

考え方自体はシンプルです。ある農薬は最初のうちはよく効き、多くの害虫を殺すことができます。しかし時間がたつうちに、一部の個体は生き残ります。その生き残った個体が繁殖し、徐々により強い抵抗性を持つ集団が形成されていきます。抵抗性が蓄積されると、元の農薬は効きにくくなります。すると農家は、同じ農薬をより大量に、より頻繁に散布するか、まったく新しい農薬を使わざるをえなくなります。

この繰り返しのサイクルが「トレッドミル(踏み車)」です。ジムのランニングマシンの上を走るように、ずっと走り続けているのに、前には進んでいない状態です。

この問題は特定の害虫だけに限られません。農業では雑草、昆虫、ダニ、病害などさまざまな害を扱いますが、そのすべてについて、結果的に抵抗性を助長してしまうような管理が行われる可能性があります。その結果として、化学的防除が自らを強化してしまう仕組みになりがちです。

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問題を示す数字

ここ数十年で農薬使用量は飛躍的に増えました。それにもかかわらず、害虫が原因となる作物被害の全体量は、おおむね変わらずに推移しています。これは「農薬がまったく効かない」という意味ではありません。使用量を増やしても、害虫を恒久的に抑え込むことはできていない、という意味です。

人への影響も深刻です。世界保健機関(WHO)は1992年、毎年300万件の農薬中毒が発生し、そのうち22万人が死亡していると推計しました。これらの数字は、農薬使用が単なる農業技術上の問題にとどまらないことを示しています。それは重大な公衆衛生の問題でもあるのです。

農場で働く人々はとくに大きなリスクにさらされています。農業は、最も危険度の高い産業分野のひとつとされています。農家や農業労働者は、機械や過酷な気象条件だけでなく、農薬やその他の化学物質にも日常的に曝露されています。曝露は健康被害を引き起こし、農薬にさらされた労働者からは、先天異常を持つ子どもが生まれる可能性もあります。農場が職場であると同時に生活の場でもあることが多いため、家族全体が曝露されることも少なくありません。

なぜ農薬はこれほど広く使われるようになったのか

農薬トレッドミルを理解するには、そもそもなぜ農薬が現代農業の中心的な存在になったのかを知る必要があります。

20世紀以降、多くの国で農業は集約化が進みました。集約農業とは、水、肥料、農薬、自動化などの投入を高水準で行い、生産性の最大化を目指すやり方です。合成肥料や機械化と並んで、農薬は収量向上を支えた主要なツールのひとつとなりました。

大規模な単一作物栽培(モノカルチャー)も、この流れに拍車をかけました。モノカルチャーとは、広い面積に同じ作物品種を一面に植えることです。播種や収穫が単純化される一方で、生物多様性は低下します。栄養の利用が一様になり、同じ作物が広大な面積を占めると、害虫や病気が広がりやすくなります。その結果、農薬や肥料への依存度が高くなることが多いのです。

つまり、現代の工業的な農業の構造そのものが、農薬依存を生みやすい仕組みだと言えます。

過剰な農薬使用がもたらす環境負荷

農薬は生物を殺すために設計された物質であり、その影響が標的とする害虫だけにきれいに限定されるとは限りません。農業は環境中に放出される毒性物質の主要な発生源であり、とくに綿花栽培に使われる殺虫剤が問題となってきました。

農薬使用は、自然環境に直接的なダメージを与えます。標的以外の昆虫や植物、菌類を殺してしまうことがあり、これが、生息地の変化、生物多様性の低下、水質汚濁、有害物質の排出といった、農業に関連する広範な環境負荷に拍車をかけています。

波及効果もあります。農業はすでに、農薬による自然破壊、栄養塩の流出、過剰な水利用、自然環境の喪失などを通じて、社会に「外部コスト」を押しつけています。外部コストとは、製品価格に十分に反映されていない被害を指します。レジで支払う食品の値段は安く見えても、その環境負荷や健康被害の一部は、別の場所で誰かが負担しているのです。

過剰な農薬使用に批判的な立場からは、「自然保護か食料生産か」という二者択一を、農業が当然の前提として受け入れる必要はないと主張します。そこで重要になるのが、代替的な病害虫管理の戦略です。

総合的病害虫管理:農薬は最後の手段

農薬トレッドミルに対する代表的な代替策のひとつが、「総合的病害虫管理(IPM:Integrated Pest Management)」です。

総合的病害虫管理は、不要な農薬使用を減らしつつ、経済的な損失を引き起こすレベル以下に害虫密度を抑えることを目指します。最初から農薬に頼るのではなく、複数の方法を組み合わせるのが特徴です。

  • 化学的防除(農薬)
  • 生物的防除(バイオコントロール)
  • 耕起などの物理的・機械的手段
  • 害虫の発生圧を下げる栽培管理(文化的防除)

生物的防除とは、生きた生物を利用して害虫を抑える方法です。文化的防除には、輪作、間引き(淘汰)、被覆作物(カバークロップ)、間作、堆肥化、害虫発生の回避、抵抗性品種の利用などが含まれます。

輪作は、同じ圃場で同じ作物を作り続けるのではなく、複数の作物を順番に作付けする方法で、害虫や病原体の生活環を断ち切る効果があります。間作は、同じ場所に複数の作物を同時に栽培し、害虫が一気に広がりにくい環境をつくります。被覆作物は、収穫を目的とせず、土壌の保護や改善のために育てる作物です。抵抗性とは、特定の害虫や病気に対して被害を受けにくい品種を利用することを指します。

総合的病害虫管理の最も重要な原則は、「農薬は最後の手段」であり、「最初から使うのが当たり前の選択肢ではない」という点にあります。

プッシュ・プル法:生態を活かした巧みな戦略

とくに洗練された方法として知られるのが、「プッシュ・プル法」です。この手法では、植物が発する匂いを二つの方向で利用します。一部の植物は害虫を主作物から遠ざけ(プッシュ)、別の植物は害虫を別の場所に誘引し、そこで捕殺や除去をしやすくします(プル)。

この二重の仕組みから、「プッシュ・プル」と呼ばれます。ある植物群が害虫を「押しやる(プッシュ)」一方で、別の植物群が害虫を「引きつける(プル)」のです。

この方法が重要なのは、防除が必ずしも「殺すこと」だけに頼らなくてよいと示している点です。害虫の「行動」をコントロールすることもできるのです。害虫の行動パターンを変え、その行き先を操作することで、より選択的に作物を守り、農薬使用を減らせる可能性があります。

プッシュ・プル法は、「生態系の関係性を活かす」という持続可能な農業のより広い考え方を体現しています。化学物質だけに頼って自然の仕組みを押さえ込むのではなく、その仕組みと協調しながら害虫管理を行うアプローチなのです。

収量・食料・環境をめぐる広い議論

高収量を目指す集約農業を支持する側は、「農薬によって単位面積当たりの収量が上がるから、必要な農地面積が減り、そのぶん自然を守れる」と主張することがあります。収量を上げれば、より少ない土地で多くの食料を生産できる、という論理です。

これに対して反対派は、この考え方は単純化しすぎだと批判します。農薬は本来必要な良好な栽培管理を補完するのではなく、それを置き換えてしまうことがあり、生物多様性の損失や汚染、健康被害といった深刻なコストを伴うと指摘します。また、輪作や総合的病害虫管理といった代替策を用いれば、抵抗性のスパイラルに農業を縛りつけることなく、害虫被害を抑えられると強調します。

この議論は、より大きな地球規模の課題の一部でもあります。農業は何十億人もの人々に食料を供給しなければなりませんが、同時に環境悪化の原因であり、その影響を受けやすい産業でもあります。土壌劣化、生物多様性の喪失、気候変動、水資源の逼迫は、いずれも作物収量を減らしうる一方で、慣行的な農業のやり方がそうした問題をさらに悪化させている側面もあります。

農薬トレッドミルは、こうした大きな矛盾をのぞき込むための小さな「窓」のひとつにすぎません。

なぜこのサイクルを断ち切ることが重要なのか

農薬トレッドミルから抜け出すことは、単に「農薬使用量を減らす」ことではありません。長期的に見ても有効性が保たれるように、防除のあり方そのものを組み替えることが問われています。

抵抗性が積み上がり続けるなら、新しい農薬はどれも一時しのぎに終わるかもしれません。健康被害が続くなら、そのリスクは農業労働者や農村の家族が負い続けることになります。生態系が損なわれれば、農業は自らが依存する自然の仕組みを破壊してしまうことにもなりかねません。

より賢い害虫管理とは、短期的な「叩き潰し」だけを考えるのではなく、多様な手段を組み合わせ、害虫の生物学的な性質を理解し、そもそも大発生が起こりにくい農業システムをつくることです。その意味で、総合的病害虫管理やプッシュ・プル法は、害虫管理を行いながら、同時にトレッドミルそのものを強化しないための重要な手立てです。

結局のところ、農薬トレッドミルは、農業とは単に「より多くを生産すること」ではないと教えています。どうやって生産するのか、そのリスクを誰が負うのか、そして「今日の解決策」が「明日のより大きな問題」を生み出していないか――そこまで含めて考える必要があるのです。

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