第二次世界大戦の終結は、より平和な時代の始まりとして語られることが多い。ある重要な点では、それは事実でもある。1945年以降、最強国同士の戦争は減少し、領土征服は下火になり、正式な宣戦布告もまれになった。だが、それは「戦争そのものが消えた」という意味ではない。
変わったのは、戦争のパターンだった。世界の強国同士が何度も大規模に衝突するのではなく、1945年以降の時代を特徴づけたのは、むしろ内戦と反乱(反政府武装闘争)だった。同時に、戦場での戦死者や負傷者の数は減り、民間人や捕虜、負傷者の苦しみを抑えることを目的とした国際人道法によって、戦争はこれまで以上に強く枠づけられるようになった。
その結果として生まれたのが、奇妙な現代の現実だ。戦争はある意味で以前より「致死性」が低くなった一方で、依然としてしつこく、広範に存在し続けているのである。
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大国同士の戦争が減った世界
1945年以降の大きな変化のひとつは、最も強い国家同士の戦争が減ったことだ。大国間戦争の頻度が下がり、露骨な領土征服も減少した。正式な宣戦布告も少なくなっている。
とりわけ西ヨーロッパでは、その変化が際立っている。18世紀後半以降、この地域では150以上の武力衝突と約600の会戦が起きてきたが、1945年以降、西ヨーロッパで戦闘が行われた戦場はない。これは政治的な緊張が消えたという意味ではないが、かつてたびたび戦火にさらされてきた地域で、紛争のあり方がいかに劇的に変化したかを示している。
もっとも、1945年以降に国家間戦争が完全に消えたわけではない。朝鮮戦争、1971年の印パ戦争、イラン・イラク戦争、湾岸戦争、エリトリア・エチオピア戦争、ロシア・ウクライナ戦争などは大きな例外と言える。それでも全体としては、「大国同士が繰り返し戦争を行う」という古典的なパターンは、以前ほど一般的ではなくなった。
では、大国間戦争が減ったあとに、何がその代わりとなったのか。増えていったのは、内戦と反乱(反政府武装闘争)という形の紛争だった。
内戦とは、別々の国同士ではなく、単一の国家内部で行われる戦争である。反乱とは、既存の政治体制を変えることを目指し、正規軍ではない武装勢力が権威に対して武力で挑むことを指す。これらの紛争は、国家の正規軍同士が戦う従来型の戦争とは様相が大きく異なることが多い。ゲリラ戦術や前線の流動化、政治的正統性をめぐる争い、単に武装勢力同士を打ち負かすだけでなく、住民の支持や支配権を巡る駆け引きなどが典型的だ。
1945年以降、内戦は絶対数として増加してきた。実際、この時代の戦争の最も特徴的な点のひとつは、戦闘の中心が内戦と反乱に移っていることだ。これは歴史的に見ても大きな転換である。つまり、大国同士の「古いスタイルの戦争」は減った一方で、国家内部や組織化された武装運動による暴力は持続していた、ということでもある。
そのことは、1945年以降の世界がなぜ矛盾した姿に見えるのかを説明してくれる。指標上は、戦争に関する数字のいくつかは改善しているように見える。しかし現実には、多くの社会が長期にわたる暴力、不安定さ、破壊を経験してきたのだ。
目に見えにくくなった現代の戦争――それでも深刻な被害
戦争と聞くと、多くの人は国家の正規軍同士が大規模な会戦を行う光景を思い浮かべる。しかし、1945年以降の紛争は、しばしばまったく異なる広がり方をする。
戦争地域や紛争地では、日常生活が中断される。移動は困難または危険になり、インフラは劣化し、住民が避難を余儀なくされたり、退去を勧告されたりするかもしれない。内戦や反乱では、こうした混乱が長期化しやすく、正面衝突型の「戦場決戦」には見えなくても、長いあいだ日常生活を蝕み続ける。
戦争はいかなる形であれ、戦闘そのものを超えた深刻な被害をもたらす。インフラの破壊、健康状態の悪化、社会保障支出の減少、飢饉、紛争地域からの大規模な移住などが典型的だ。民間人は残虐行為や心理的外傷にさらされ、飲料水など生活に不可欠な資源へのアクセスを失うこともある。戦闘による戦死者が約2,500人規模の「中程度」の紛争であっても、平均寿命が1年短くなり、乳児死亡率が10%増加し、栄養不良が3.3%増え、人口の約1.8%が飲料水へのアクセスを失うといった影響が確認されている。
つまり、戦場での死者数が減ったとしても、戦争が深刻な破壊行為であることに変わりはない。
戦死者が減った理由
1945年以降の顕著な変化のひとつは、戦場での戦死者や負傷者が減少したことだ。その大きな要因となっているのが軍事医療の進歩である。
軍事医療とは、戦時下で負傷者や病人を治療するための医療を指す。医療が進歩したからといって戦争が「人道的」になるわけではないが、負傷や病気、感染症による死者数を減らすことはできる。歴史的に見れば、病気は膨大な数の軍人の命を奪ってきた。1500年から1914年までのあいだ、戦闘そのものよりもチフスによって死亡した軍人のほうが多かったとされる。ナポレオンのロシア遠征からの撤退では、ロシア軍との戦闘よりも多くのフランス軍兵士がチフスで命を落とした。七年戦争では、イギリス海軍が徴用した184,899人の水兵のうち133,708人が病死あるいは行方不明と記録されている。
こうした歴史的背景を踏まえると、1945年以降の死傷者減少は理解しやすくなる。負傷兵の治療や後送、看護の改善によって、兵器がより高度化しているにもかかわらず、近代のある種の戦争では、以前の時代に比べて死亡率が低くなっている一因が説明できる。
戦争はより規制されるようになった
1945年以降のもうひとつの大きな変化は、戦争が国際人道法によってますます強く規制されるようになったことである。
国際人道法とは、武力紛争における苦しみを抑えることを目的とした一連の規則である。とくに民間人や捕虜、負傷者の保護、および戦争で許される行為に一定の限度を設けることに重点が置かれている。もちろん、すべての戦争がこれらのルールを完全、あるいは一貫して守っているわけではない。しかし、戦争行為が正式な行動規範に照らして評価されるようになったという点は重要だ。
これは、戦争が「誰が戦うか」だけでなく、「戦闘員に何が許されるか」という問題でもあることを意味する。戦争倫理は、長く「どのようなときに戦争が正当化されうるのか」「戦争中にどのような行為が許容されるのか」といった問いを中心に発展してきた。そのなかでも重要な考え方のひとつが、交戦者と非交戦者の区別である。交戦者は戦闘に参加している者を、非交戦者はとくに民間人など、戦闘に参加していない者を指す。これと関連するのが「均衡性(比例性)」の原則であり、必要かつ道徳的に正当とされうる武力行使の範囲を問題にする。
これらの原則は、戦争そのものをなくすことはできなくとも、その最悪の影響を抑えようとする試みを反映している。
宣戦布告の減少と、変わりゆく紛争のかたち
正式な宣戦布告の減少もまた、1945年以降の紛争が、従来のモデルとは異なる形で行われることが多くなった証拠である。以前の時代には、国家間の戦争は、より公然と「宣戦」という政治行為として位置づけられていた。現代では、同じような儀礼的な手続きを経ずに、紛争が始まり展開していくことが多い。
この変化は、内戦や反乱、その他の非伝統的な戦い方が増えたという、より広い傾向とも整合的だ。現代の戦争には、国家間の通常戦争から、反乱やその他の非正規戦闘まで、幅広い形態が含まれている。多くの現代的な事例では、二つの国家が正式に宣戦布告し、制服を着た軍隊を戦場に送り込むという、古典的なイメージよりも、戦争と政治闘争の境界線がはるかにあいまいに見える。
なぜ「1945年以降」が今も重要なのか
1945年以降の戦争は、「単純に減少してきた」というすっきりした物語には収まらない。大国間戦争、領土征服、正式な宣戦布告といった古いタイプの戦争は減少した。戦死者や負傷者も減り、その一部は軍事医療の進歩に支えられている。そして戦争は、国際人道法によってより厳しく規制されるようになった。
だが、紛争そのものが消えたわけではない。内戦は絶対数として増加し、反乱はこの時代を特徴づける現象となった。つまり、近現代の戦争史は、暴力が平和に取って代わられた物語ではない。それは、戦争が「変容」してきた物語なのである。
その結果、現代の世界では、第一次・第二次世界大戦のような巨大な国家間戦争は起こりにくくなったように見える一方で、戦争は依然として政治、社会、そして人々の日常生活を形づくる強力な要因であり続けている。
この変化を理解することは、とても重要だ。もし大国間戦争だけに目を向けていれば、1945年以降の世界は異常なほど穏やかに見えるかもしれない。だが、内戦や反乱、紛争地での生活実態に目を向けると、まったく別の景色が見えてくる。戦争はその姿を変えた――そして、その変化こそが現代を特徴づける現実のひとつなのである。


















