人間の居住は、高層ビルや道路、巨大都市が景観を一変させるずっと以前に始まりました。物語の最初の章は、はるかに古く、ずっと素朴です。少人数の人びとが特定の場所に集まって暮らし、その痕跡が「居住」がどのように始まったのかを物語っています。
居住とは根本的には、「人びとが同じ場所にまとまって暮らしている共同体」のことです。それは数軒の住居の集まりのような小さなものから、大都市とその周辺の市街地のような大きなものまでさまざまです。時代を通じて、居住地には自営農家の孤立農場や小集落、村、町、都市が含まれてきました。しかし、居住の最も深い起源は、にぎやかな町ではなく、太古の人骨や、素朴な造営物としてのシェルターに現れる先史時代のはるか彼方にあります。
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居住の歴史はどこまでさかのぼれるのか
ここで取り上げる、人間の居住を示す最古の地理学的証拠の一つは、ジェベル・イルフード(Jebel Irhoud)から見つかっています。そこでは、8体の初期の現生人類の遺骨が、中期旧石器時代、約30万年前のものとされています。
中期旧石器時代は、人類史のごく初期の段階であり、文字も国家も農耕もまだ存在しませんでした。これは石器時代全体の一部であり、日常生活の中心となる道具が石で作られていた時代です。この時期の居住の証拠が見つかることは非常に特筆すべきことで、人類が非常に長い時間スケールで、すでに特定の場所と結び付いていたことを示しています。
とはいえ、その頃に都市があったという意味ではありません。むしろ、人びとがある場所に集まり、そこを拠点として暮らし始めていたことを示しています。居住の歴史を考えるうえでは、この違いが重要です。居住地であるために、道路や城壁、正式な政府が必須というわけではなく、「人が共に暮らした場所」であればよいのです。
ジェベル・イルフードがきわめて古い時期の居住を示すとすれば、「建てられた住まい」の最古の痕跡は、もう一つの重要なピース――実際の「家」の存在――を付け加えます。
その最古の住居跡は、ガリラヤ湖の近くにあるオハロ(Ohalo)で見つかり、紀元前1万7000年頃にさかのぼります。それらは泥と枝で作られた小屋でした。一見ささいな点に思えますが、これは多くを物語ります。そこにあったのは、永続的な石造りの家でも、巨大な記念碑的建造物でもありません。身近にある自然素材を使い、基本的な生活のための実用的なシェルターが造られていたのです。
現在、オハロの遺跡は水中に沈んでおり、物語に興味深い一面を加えています。かつて人が暮らした古代の場所が、いつまでも陸上で目に見える形で残るとは限りません。何千年という時間の中で景観は変化し、居住の証拠は埋もれたり、浸食されたり、水没したりすることがあります。
それでも、これらの小屋は、人類がただ場所を占有していただけでなく、その中に積極的に住居を築いていたことを示す強力な証拠です。言い換えれば、「居住」は人の手によって場所が形作られる営みになりつつあったのです。
なぜ素朴なシェルターがそれほど重要なのか
泥と枝でできた小屋は、ただの簡素な住まいに思えるかもしれません。しかし、居住史においては重要な分岐点を示しています。造られた住居は、単なる生存以上のものを物語ります。そこには、計画性、同じ場所の繰り返し利用、その土地への一定の愛着や結び付きといった要素がうかがえます。
これは、居住地理学や考古学の根本的な発想の一つです。研究者が関心を持つのは、人が「どこにいたか」だけでなく、「そこで空間をどう組織したか」です。慣習的に、居住地とは道路、囲い地、耕地システム、土塁や溝、ため池、公園や森林、風車や水車、荘園屋敷、濠、教会といった人工的な要素を含みます。こうした要素の多くは、もっと時代の下った複雑な居住地に属するものですが、根本原理は同じです。人が定住するとき、場所は人によって変貌させられるのです。
オハロの小屋は、その変貌のごく初期かつ基本的な姿を示しています。人類はそこをただ通り過ぎるのではなく、「造られた空間」として形を与え始めていたのです。
ナトゥーフ人とレヴァントにおける家屋の登場
この物語におけるもう一つの大きな一歩は、紀元前1万年頃、レヴァント地方に家を建てたナトゥーフ人の登場でした。
ナトゥーフ人は中東の後期石器時代の人びとで、レヴァントとは、現在のイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、レバノン、シリアなどを含む東地中海沿岸地域を指します。彼らは、ここで扱う最も初期の定住共同体の一部とみなされており、居住史の中で重要な位置を占めています。
家は単なる雨露をしのぐ場所以上の意味を持ちます。一時的な野営地と比べると、家は一つの場所へのより強く、より長期的な結び付きをうかがわせます。家が現れると、居住という概念は、私たちにもなじみのある形で、よりはっきりと認識できるようになります。すなわち、建物があり、繰り返し住み続けられ、その場所に根ざした共同体生活が営まれている場所としての「居住地」です。
とはいえ、この段階でも、世界中に村が広がっていたわけではありません。ただ、定住的な暮らし方が、考古学的な記録の中で以前よりもはっきりと姿を現し始めたことは確かです。
農耕の登場が村を一変させた
農耕が発明されると、村のような居住地の遺跡がはるかに頻繁に見られるようになります。これは、人間の居住史全体の中でも最大級の転換点の一つです。
農耕とは、作物の栽培と、それに伴う食料生産への広範な移行を意味します。人びとが農業に依存するようになると、一か所にとどまることがはるかに現実的になります。畑には手入れが必要で、収穫は季節ごとに行われ、食料生産は共同体を土地に結び付けます。農耕の登場後、村落のような定住地が広く分布するようになった背景には、こうした事情があります。
ここで名前が挙げられている最古のタイプの居住地は、イラクにあるジャルモ(Jarmo)です。ジャルモは、より広い転換期の一部として位置付けられます。農耕が登場すると、居住はもはや例外的で限られた暮らし方ではなくなり、はるかに一般的な生活様式となっていったのです。
点在する住まいから「居住パターン」へ
居住地の数が増えるにつれ、その姿も多様になっていきました。景観史の研究では、居住地の形態(モルフォロジー)を扱います。そこでは、集落が散在しているのか、それとも集中的にまとまっているのかといった点が重要な論点になります。
散在集落とは、家屋や建物が広い範囲に点々と分かれて建っている形態です。これに対して集中集落(核集落)は、建物が比較的密集してまとまっています。一見すると単なる専門用語の違いに思えるかもしれませんが、人びとが時代や地域によって、どのように共同生活の場を構成していたのかを理解する手がかりになります。
研究者はまた、居住地の階層性も調べます。これは、規模や中心性などの要素によって居住地を序列化する考え方です。平たく言えば、その地域の中で、ある場所がどれだけ大きく、どれほど重要な役割を果たしているかを比較することです。村も町も都市も居住地ですが、地域の中で担う機能は同じではありません。
興味深いことに、呼び名は世界共通ではありません。ある国で「タウン(町)」とされる場所が、別の国では「ビレッジ(村)」とみなされる場合もあり、別の地域では大きな町が「シティ(都市)」に分類されることもあります。これは、居住という概念がとても幅広いものであり、カテゴリーの境界線が、しばしば各国・各地域固有の定義によって決まっていることを思い起こさせます。
居住は移動から始まる
もう一つの重要な考え方は、居住のプロセスには必ず人間の移動(移住)が伴うということです。人は、まずその場所へ移動してこなければ、そこに定住することはありません。
このことは、居住の起源が、より大きな人類の物語――移動し、到達し、新たな「場所」を生み出す営み――の一部であることを意味します。居住地とは、地図上の単なる点ではありません。人びとがある土地を選び、そこに戻り、建物を築き、時間をかけて組織化していった結果として生まれるものです。
このように捉えると、最初期の小屋や家は、単発の興味深い遺物にとどまりません。そこには、「移住があり、その後に居住が続く」という、人間にとって基本的なパターンの証拠が見て取れます。
すべての居住地が生き残るわけではない
居住の歴史は、同時に「失われた場所」の歴史でもあります。戦争、浸食、巨大帝国の崩壊といったさまざまな要因によって、居住地が放棄されることがあります。こうした廃墟となった居住地は、考古学にとって貴重な遺物を保存している場合があります。
廃墟となった居住地の中には、ゴーストタウンのように、今でも容易に立ち入ることのできる場所もあります。一方で、日常の視界からほとんど完全に消え去ってしまう場所もあります。経済的な破綻、町を水没させるダム建設など政府の施策、洪水や無秩序な治安悪化、戦争といった自然災害・人災のどちらによっても、居住地はゴーストタウンへと姿を変えることがあります。
これは起源を考えるうえでも重要です。居住の物語は、「小屋から超巨大都市へ」と一直線に伸びる単純な道筋ではありません。ある場所は成長し、ある場所は縮小し、また別の場所は捨てられます。居住は、常にダイナミックに変化してきたのです。
先史時代の住まいから「定住した世界」へ
現代の居住地は、ごく小さな集落から、巨大な都市圏までさまざまです。そして地球規模での都市化は、かつてないスピードで進んでいます。しかし、そうした現代世界の深い根は、はるか昔の節目にたどることができます。ジェベル・イルフードにおける古代の人骨、紀元前1万7000年頃オハロの泥と枝の小屋、紀元前1万年頃レヴァントでナトゥーフ人が建てた家、そして農耕の普及にともなう村落の広がり――その中で最古の例として名が挙げられるのがジャルモです。
これらの痕跡を総合すると、重要な事実が見えてきます。人間の居住は、都市から唐突に始まったわけではありません。ある場所に繰り返し戻ること、ごく簡素な造営のシェルター、初期の家屋、そして最終的には農耕と結び付いた村落へと、段階を追って姿を現していったのです。
最初の居住地は小規模でしたが、そこから人類史上最大級の変化の一つ――「景観を移動しながら生きる」あり方から、「その土地の中に暮らしを築く」あり方への転換――が始まりました。

















