私たちは、データがあふれかえる時代に生きています。メッセージ、プラットフォーム、システム、ダッシュボード、記録、ネットワークなどが日常生活のすみずみにまで入り込み、現代社会はまるで「情報」そのものによって動いているかのように感じられます。しかし、「情報」を生み出し流通させる社会と、「知識」を実際に活用して生活を向上させる社会のあいだには、大きな違いがあります。
この違いこそが、「情報社会」から「知識社会」への転換の核心にあります。
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情報社会とは何か
情報社会とは、情報の利用・創出・分配・操作・統合が、重要な社会的活動となっている社会を指します。簡単に言えば、このような社会では情報は単なる便利なおまけではなく、人々の仕事、学び、統治、コミュニケーション、そして組織化の仕方の中心に位置づけられます。
この考え方は1930年代から議論されていますが、今日の意味では、とりわけ情報技術の影響と結びついています。ここで言う情報技術とは、特にコンピュータと電気通信を指します。電気通信とは、電話やデジタル通信システムのように、距離を超えて情報を送ることを可能にする技術のことです。
情報社会では、これらの技術が次のような主要な社会組織に影響を及ぼします。
- 教育
- 経済
- 医療・健康
- 政府
- 戦争
- 民主主義の度合い
また、家庭、職場、学校、政府、地域社会、各種組織といった日常的な場も作り変えていきます。なかでも顕著なのは、「サイバースペース」における新しい社会形態の登場です。つまり、デジタルネットワークとオンライン上のやり取りを通じて発展する社会生活です。
情報社会の台頭を理解するには、社会をどのように分類してきたかという大きな流れの中で見るとわかりやすくなります。社会学では、社会を前産業社会・産業社会・ポスト産業社会といった形で大まかに区分することがよくあります。
ポスト産業社会では、物質的なモノの生産よりも、情報やサービスが社会の中心となります。サービス部門には、教育、医療、金融などの分野が含まれます。こうした社会では、社会・経済生活は製造業中心から、サービスの管理、コミュニケーション、知識関連の仕事といった活動へと重点が移っていきます。
情報社会は、まさにこうした環境の中で形成されました。特に21世紀初頭以降、電子的な情報資源へのアクセスが拡大するなかで、情報そのものが、社会の構成を左右する重要な資源となっていったのです。
言い換えれば、多くの先進社会は、モノを作ることだけでなく、情報を生み出し、移動させ、活用することへと次第に重点を移していったのです。
情報と知識は同じではない
情報社会は高度に発達し、深くネットワーク化されうる一方で、なおさら重要なものを欠く場合があります。情報それ自体は、必ずしも「理解」とは言えません。情報は豊富で、速く、広く行き渡っていても、それが賢明な判断やより良い結果へとつながるとは限りません。
そこで重要になるのが「知識社会」という考え方です。
知識社会とは、人間の状況を改善するために用いられうる知識を生み出し、共有し、社会のすべての構成員が利用できるようにする社会のことです。この最後の点が最も重要です。知識は、ただ無限に集めるべき「原材料」としてではなく、使える形へと変換されます。
決定的な違いはここにあります。知識社会は、単に生データを生成してばらまくのではなく、社会が効果的な行動を取れるように、情報を資源へと変える社会なのです。
生データとは、処理されていない事実や数字のことです。効果的な行動とは、わかっていることをもとに意思決定を行い、問題を解決し、人々の状況を改善することを意味します。
クリックから結果へ
現代社会は、多量の情報を生み出すことにかけては非常に優れています。記録、指標、コミュニケーション、デジタルな行動のログが、巨大な規模で日々生み出されています。しかし、より深い問いは、その膨大な情報の力が、社会が「うまく行動する」ことに本当に役立っているのかどうかです。
社会は高度に接続されていても、手にした情報をどう扱うべきかに苦慮することがあります。だからこそ、「情報社会」から「知識社会」への移行は単なる技術的な問題ではなく、社会的な問題でもあるのです。
社会とは、制度や文化を共有する人々のあいだの関係のパターンとして理解できます。これらの関係は、規範、役割、政府、経済システム、コミュニケーションによって形づくられます。もし情報技術が、いまや教育、医療、政府、経済にまで影響を及ぼしているのだとすれば、課題は単にデータを送るための優れたシステムを作ることではありません。情報を「有用で共有された理解」へと変換できる社会的な仕組みをどう作るかが問われているのです。
それは次のような問いを投げかけます。
- 誰が情報へアクセスできるのか?
- 誰がそれを解釈できるのか?
- 誰がそれをもとに行動できるのか?
- その利益は社会のすべての構成員に届いているのか?
定義上、知識社会は、知識を社会のすべてのメンバーに利用可能にすることを目指します。そこが、単にデータを収集し流通させるだけの仕組みとは違う、より広い視野なのです。
知識の社会的な側面
知識は真空の中から突然現れるものではありません。人間社会は協力的であり、社会的役割、規範、制度によって構造化されています。社会規範とは、どのような行動が望ましいかについての共有された基準です。社会的役割とは、社会におけるある地位に結びついた行動様式、義務、期待のパターンを指します。
こうした要素が重要なのは、情報が役に立つものとなるのは、人々や制度がそれを扱う方法を身につけているときだけだからです。学校、医療システム、政府、職場は単に情報を保存しているわけではありません。そこでは確立された役割とルールにもとづいて情報が解釈されています。
たとえば、社会のより広い枠組みには、次のようなものがあります。
- 行動を組織化する制度
- 何が受け入れられるかを方向づける規範
- 法や政策をつくる政府
- 希少な資源を配分する経済システム
情報社会では、技術が情報を広く行き渡らせるかもしれません。知識社会では、こうした社会構造が情報を実際的な改善へと変える助けとなります。
情報技術と社会組織の変化
情報社会という考え方を支持する人々は、情報技術がほぼすべての主要な社会組織の形態に影響していると主張します。これは大きな主張ですが、それだけデジタルシステムが現代生活の奥深くまで入り込んでいることを反映しています。
教育は、電子的な情報資源へのアクセスによって形づくられています。医療システムは、ますます情報の流れに依存しています。政府は、行政や統制の一環として情報技術を用いています。経済活動は、コミュニケーションと情報交換に大きく依存しています。戦争や民主主義さえも、情報の使われ方に左右されます。
こうした事情から、情報社会は現代のグローバル社会を特徴づける重要な概念として語られることが多いのです。
しかし、この姿には同時に警鐘も含まれています。情報技術は社会を変容させうる一方で、その変容が自動的に「改善」になるとは限りません。知識社会は、より高い基準を掲げます。知識は人間の状態を改善するかたちで用いられるべきだ、という基準です。
「ばらまく」ことの先へ
「生データを作成し、拡散する」という言い方は、情報中心の世界が抱える限界の一面を表しています。「拡散する」とは、広く行き渡らせる、分配するという意味です。社会は拡散の効率を極限まで高めることができる一方で、実際にはほとんど集団的な利益を生み出していない、という状況になりえます。
知識社会は、その先を目指します。知識を、行動のための資源となるよう組織化するのです。
これは抽象的に聞こえるかもしれませんが、違いはとても実践的です。情報は「何が起きているか」を知らせてくれます。知識は「何が重要か」「どんなパターンがあるか」「次に何をすべきか」を理解させてくれます。
この違いは、情報とサービスが社会生活を支配するポスト産業社会において、とりわけ重要です。もし教育、医療、金融といったサービスが社会の中核になっているのなら、単にデータの流れを増やすだけでは足りません。意思決定の「質」こそが決定的になるのです。
現代社会をめぐる、より大きな問い
情報社会と知識社会の対比は、社会がどのように機能しているのかという、より大きな議論にもつながっています。
社会学の中には、役割や制度を通じて社会がどのように協調して動いているかを重視する立場もあれば、対立や不平等、利害の衝突を重視する立場もあります。これらの視点は重要です。なぜなら、社会生活において情報は決して完全に中立ではないからです。社会にはさまざまな権力構造があり、不平等の程度も、資源の配分方法も異なります。
つまり、情報から知識への転換は、単に技術を高度化するかどうかの問題ではありません。社会の仕組みが、知識を広く共有し、共通の利益のために活用できるようになっているかどうかも問われているのです。
富裕な社会や技術的に進んだ社会であっても、資源の配分をめぐる巨大な不平等が存在しうることは事実です。ここで定義される知識社会は、「知識を社会のすべての構成員に利用可能にし、それによって生活を向上させる」という、より包摂的な目標を指し示しています。
私たちはどんな未来を築いているのか
最も重要なのは、「社会がより多くの情報を生み出せるかどうか」ではありません。それができることはすでに明らかだからです。むしろ差し迫った問いは、「その情報の力によって、どのような社会を形づくろうとしているのか」という点にあります。
情報社会は、特にコンピュータや電気通信を通じた情報の生産・分配・操作によって形づくられます。それは家庭、学校、職場、政府、そしてサイバースペースにまで入り込み、現代社会の組織のされ方を変えていきます。
知識社会は、そこからさらに多くを私たちに求めます。情報を「行動可能な知識」へと変換し、その知識を社会全体に共有することで、人間の状況を改善しようとするのです。
それは、単につながっているだけより、はるかに難しい課題です。必要なのはネットワークだけではなく、「判断力」です。データだけでなく、「解釈」です。流通だけでなく、「すべての人へのアクセス」です。そして、情報システムだけでなく、「知っていることを行動に変えられる社会システム」です。
結局のところ、課題はシンプルに言い表せる一方で、達成は非常に困難です。――私たちは、ただ情報をより速く動かすだけの社会を築いているのか。それとも、知識を使って生活をより良くしていく社会を築いているのか。



















