社会:人間は真社会性なのか?

人間が社会的な存在であることは明らかです。私たちは家族や近所、都市、国家、そして地球規模の協力ネットワークをつくります。ところが一部の生物学者は、そこからさらに踏み込み、思い切った問いを投げかけてきました。

――人間は「真社会的(eusocial)」なのではないか?

真社会性は、動物の社会性の中で「最も高度なレベル」として説明されることが多い概念です。このエピソードの文脈では、真社会性とは「労働の分業」「子育ての協力」「複数世代が同じ群れで暮らす」ことを特徴とする生き物を指します。その典型例がアリです。そして挑発的なのは、昆虫学者E.O.ウィルソンをはじめとする一部の研究者が、人間もそこに含めようとしている点です。

もちろん、そのラベルに異論を唱える研究者もいます。しかし批判的な立場の人たちでさえ、より大きなポイントでは一致しています。それは「人間は非常に強い社会性をもつ動物だ」ということです。

では、人間がアリとまったく同じ意味で真社会的ではないのだとしたら、なぜ一部の科学者は、なおもこの比較が有用だと考えるのでしょうか。

人間は、ボノボやチンパンジーと同様に、非常に社会性の強い動物です。これは「社会をつくる能力」が人間の本性に深く根づいていることを示唆します。

社会とは、単に人がたくさん集まっている状態ではありません。継続的な相互作用のパターン、共有された期待、そして人々の暮らし方を組織化する制度などから成り立っています。

こうした「共有された期待」は、しばしば社会規範と呼ばれます。社会規範とは、受け入れられる行動についての共通の基準です。日常の慣習のような「非公式」なものもあれば、ルールや法律のように「公式」なものもあります。社会が単なる個人の寄せ集めではないのは、この社会規範があるからです。人は生まれながらに役割や義務、行動パターンを学び、それらの役割がより大きな社会システムを支えています。

人間社会がとくに際立っているのは、その「複雑さ」と「協力の度合い」が同時に高いことです。人は皆、同じことだけをしているわけではありません。むしろ、専門化しています。集団のメンバーはそれぞれ異なる仕事を引き受け、労働の分業が生まれます。簡単にいえば、ある人はある種類の仕事に集中し、別の人は別の仕事に集中することで、集団全体として一人では到底できないことが可能になります。

この点こそ、人間を真社会性の生き物にたとえたくなる大きな理由です。

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人間が「超・社会的」に見える理由

人間を真社会的とみなす議論は、いくつかの際立った特徴を根拠にしています。

ひとつは協力の度合いです。人間社会は、他の多くの動物集団をはるかに上回る高いレベルの協力行動を示します。もうひとつは、オス(男性)の親としての役割です。これは、ボノボやチンパンジーと比べたとき、とりわけ目立ちます。さらに人間社会は言語に大きく依存しています。言語によって、人は意味を共有し、行動を調整し、世代を超えて知識を伝えることができます。

そこに労働の分業が加わります。人間の集団は、日常的に仕事を人や役割ごとに分け合っています。ある人は食料を生産し、別の人は教え、交易し、統治し、治療し、建設し、道具をつくります。社会が大きくなるほど、この専門化はさらに精緻になっていきます。

また、人間には「多世代が同じ場所で暮らすキャンプ、町、都市」といった形の「巣」をつくる傾向があるとも指摘されます。この表現は重要な点を突いています。人間は単に一時的に集まるだけではなく、世代が重なり合い、協力し、文化を受け渡す「持続的な場所」を築くのです。

これらの特徴をまとめてみると、人間を真社会性昆虫にたとえることに、ある程度の説得力が見えてきます。このラベルは、単に「友好的」「集団志向」といったレベルの話ではありません。

極めて強く、組織化され、長期にわたって続く協力のあり方を指しているのです。

なぜ「アリとの比較」は物議を醸すのか

人間を真社会的と呼ぶことは、現在も議論の的となっています。その分類を受け入れる生物学者もいれば、明確に退ける研究者もいます。この対立そのものが重要です。科学におけるラベルは、必ずしも明確に線引きできるわけではないからです。

緊張関係の一因は、人間社会があまりに複雑であることにあります。人間社会は生物学だけでなく、文化、制度、技術、経済、政治によってかたちづくられます。人間は、あらかじめ決められたパターンにただ従っているわけではありません。人間は社会をつくり、その社会がまた人間を形づくるのです。

この「双方向の関係」は、社会学者たちの長年の関心事でした。ある理論は、社会的役割や制度がどのように連動して安定を生み出すかを重視します。別の理論は、集団や階級間の対立に焦点を当てます。さらに別の理論は、人々が言語や共有されたシンボルを用いながら、日常生活のなかでいかに「社会的現実」をつくり上げているかを探ります。

こうしたアプローチはいずれも、人間の協力は単なる本能ではないことを示しています。それは、構造化され、解釈され、交渉され、ときには争われるものでもあるのです。

その分、人間をアリのようにきれいに分類するのは難しくなります。

協力があるからこそ、個人では不可能なことができる

真社会性というラベルの是非はさておき、この議論が浮き彫りにしているのは強力な事実です。――協力があるからこそ、人間は一人ではほとんど不可能な課題を解決できる、ということです。

社会は、その成員が「孤立した個人」では享受しづらい利益をもたらします。協力を通じて、人は食料、知識、防衛、育児、道具などを分かち合います。そして制度、法律、慣習、交換の仕組みを生み出します。多くの社会では協力が高度に発達し、教育者、職人、商人、宗教者など、直接食料を生産しない専門家の層を支えることすら可能になっています。

ここに、人間社会の「厚み」の一因があります。食料や資源に安定した余剰があるほど、専門化の余地が広がります。そして専門化が進むほど、人々の相互依存は強まります。複雑な社会に生きる一人の人間は、顔を合わせることすらない、数えきれない他者に依存しているのです。

このレベルの相互依存こそ、人間を「極端な社会生活の一例」とみなす強力な根拠のひとつです。

その背後にある進化のアイデア

人間がなぜここまで社会的な存在になったのか。その説明のひとつとして、「厳しい環境で生き延びるうえで、集団生活が有利だったために進化した」という見方があります。これを「集団選択」の枠組みから説明しようとする研究者もいます。

集団選択とは、自然選択が「個体」にとって有利な形質だけでなく、「集団」にとって有利な形質も選びうる、とする考え方です。厳しい自然環境のもとでは、うまく協力できる集団のほうが生き残りやすかったかもしれません。協力することで、防衛、食料の分配、子育て、危険への適応がうまくいくなら、時間をかけて「社会的になりやすい傾向」が選ばれていってもおかしくありません。

もちろん、これで議論が終わるわけではありません。それでも真社会性のアイデアが繰り返し持ち出されるのは、「生存が集団に依存する状況で、どうすれば極端なレベルの協力行動が進化しうるのか」を考える手がかりになるからです。

人間社会は生物学だけでは説明できない

生物学は「なぜ人間が社会的なのか」を説明する手助けにはなりますが、それだけで社会のあり方をすべて説明できるわけではありません。人間社会は、相互に大きく異なっているからです。

社会は、技術、経済、政治体制、親族制度、ジェンダー役割などによって多様に分かれます。人力や家畜労働による食料生産が中心の「前近代的」な社会もあれば、機械と大量生産に支えられた「産業社会」もあります。さらにモノの製造よりも、情報やサービスが重視される「ポスト産業社会」も存在します。

こうした違いは、「協力がどのように組織化されるか」を大きく左右します。小規模な狩猟採集社会では、社会生活は比較的平等であることが多く、リーダーシップは正式な地位よりも影響力に基づく傾向があります。牧畜社会や園芸社会では、食料の余剰とともに役割の専門化が広がり始めます。農耕社会では、より大きな食料供給が町や交易、そして明確な階級構造を支えます。産業社会では、工場と都市化、生産性の向上によって労働のかたちが再編されます。ポスト産業社会では、情報、知識、教育、医療、金融などが中心的な役割を果たすようになります。

人間が非常に社会的な動物だとすれば、その「社会の組み立て方」において、極めて柔軟な動物でもあると言えます。

役割・シンボル・共有された意味

人間社会が他と一線を画すもうひとつの理由は、「意味」を通じてつくられているという点です。象徴的相互作用論と呼ばれる立場はこの点を重視し、人々が共有された言語を使って共通のシンボルや意味を生み出し、その意味がどのように行動を方向づけるかを研究します。

これは真社会性の議論にとっても重要です。人間の協力は、実利的であるだけでなく「象徴的」でもあるからです。人は、アイデンティティや期待、解釈の体系の中で行動します。家族の役割、仕事上の役割、政治的役割、文化的役割などを、人々は共有された言語や「社会的な台本」を通して理解します。

社会学者アーヴィング・ゴッフマンは、こうした社会的役割について演劇のメタファーを用いました。役割は台本のようなもので、人々の相互作用を方向づける、という考え方です。この意味で、人間は機械的に協力しているわけではありません。日常生活のなかで協力を「演じ」「交渉し」「解釈し直して」いるのです。

そのぶん、人間の社会性は強力であると同時に、きわめて複雑でもあります。

議論の核心にあるもの

では、人間は真社会的なのでしょうか。

もっとも慎重な言い方をするなら、こうなるでしょう。「そうだと主張する生物学者もいれば、反対する研究者もいる。しかし、人間が地球上でもっとも社会的かつ協力的な動物のひとつであることについては、ほとんど誰も異論はない」。

この用語が注目を浴び続ける理由は、人間社会の何が特別なのかを照らし出すからです。人間は世代を超えて協力します。労働を分業し、子育てを分担し、長く存続する居住地を築きます。規範や役割、制度、意味の体系をつくりあげ、それによって非常に大きな集団でも機能できるようにします。そして厳しい環境では、こうした協力が生存上の利点になってきた可能性があります。

「真社会的」という技術的なラベルが最終的に正しいかどうかにかかわらず、この問いが有用なのは、人間の社会生活がどれほど特異なものかを意識させてくれるからです。私たちは、ただ並んで生きている個人の集まりではありません。

私たちは、生まれた瞬間から自分自身を形づくる、重層的な協力のシステムの参加者なのです。

そしておそらく、もっとも重要なポイントはここにあります。人間は単に「社会の中で」生きているのではなく、深い意味で、社会によって「人間としての人間」にされているのだ、ということです。

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