シェイクスピアをじっくり読む機会はあまりなくても、あなたは日常的にシェイクスピアの言葉を話しているかもしれません。現代の英語には、彼の戯曲や詩に由来するフレーズがたくさん入り込んでいて、その多くはあまりに自然になじんでいるため、もはや「文学的な表現」として意識されることすらありません。「break the ice(気まずさをほぐす)」「wild goose chase(骨折り損の追いかけっこ)」「heart of gold(優しい心の持ち主)」「good riddance(いなくなってせいせいする)」といった言い回しを使うとき、私たちはずっと昔からシェイクスピアと結び付けられてきた台詞をなぞっているのです。
そのこと自体が、彼の影響力を際立たせています。彼の言葉は古い本や舞台の上に閉じ込められたままでは終わりませんでした。ごくふつうの会話の中に入り込み、そこで生き続けているのです。
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なぜシェイクスピアの言葉は残ったのか
シェイクスピアの英語への影響は、しばしば「pervasive(あまねく行き渡っている)」と評されます。つまり、言語のあらゆるところに広がっているということです。彼は数えきれないほど多くの語や表現と結び付けられており、彼が導入した、あるいは作り出した語彙は数千語にのぼるとも言われます。よく引用される数字では、戯曲・ソネット・物語詩全体で彼が用いた単語は17,677語、そのうち1,700語がシェイクスピアによる初出だとされています。
シェイクスピアは、外国語や古典文学からの借用でも知られています。ただ、彼の言葉をとりわけ印象深いものにしているのは、英語を自在に扱う柔軟さです。名詞を動詞に変えたり、動詞を形容詞に変えたり、本来組み合わされなかった語を並べたり、接頭辞や接尾辞を付け加えたり、ときにはまったく新しい単語を作ったりして、数々の表現を生み出しました。
接頭辞とは単語の先頭に付け足す短い要素で、接尾辞は語尾に付けるものです。こうした小さな部品が、意味や文法上の役割を変えてしまいます。シェイクスピアの巧みさは、単語をたくさん知っていたというだけでなく、言葉を引き伸ばし、鮮やかで劇的、しかも日常的にも使いやすい「かたち」に仕立ててしまうところにありました。
シェイクスピア由来の表現が生き残った理由の一つは、短く、すぐに情景が浮かぶものが多いからです。『じゃじゃ馬ならし』に出てくる “break the ice” は、会話を始めるときのぎこちなさを、今でも見事に言い表しています。『ロミオとジュリエット』の “wild goose chase” は、今なおどこかドタバタした、空回り気味の追跡を感じさせます。『十二夜』の “in stitches” は、「抱腹絶倒」「お腹がよじれるほど笑う」といった状態を、生き生きと伝える言い方として残っています。
別の表現は、その響きが「誰にでも当てはまりそう」だからこそ長く使われてきました。『ヴェニスの商人』の “Love is blind(恋は盲目)” は、短くリズミカルで覚えやすいフレーズです。『ヘンリー五世』の “heart of gold” は、やさしさや誠実さを、きらりと光る単純なイメージに変えています。『トロイラスとクレシダ』の “good riddance” は、誰かがいなくなってホッとした気持ちを、今でもきっぱり言い表すのにぴったりです。
こうした言い回しが口語に溶け込んだ理由の一つは、「使い勝手のよさ」にあります。わずか数語で、多くのことを伝えられるからです。
文化の一部になった名台詞
シェイクスピアの表現の中には、もはや元の場面を越えて、一つのことわざや文化的引用句として独り歩きしているものがあります。『ヴェニスの商人』の “All that glitters isn’t gold(光るもの必ずしも金ならず)” は、見かけに惑わされるなという警告として使われます。『お気に召すまま』の “All the world’s a stage(この世はすべて舞台)” は、人生を一つの舞台上の演技になぞらえる表現です。『ハムレット』の “Be cruel to be kind(優しさゆえの厳しさ)” は、道徳的なジレンマを、対比の効いた一文でつかみ取っています。
膨大な感情を背負った台詞もあります。『ロミオとジュリエット』の “A plague on both your houses(両方の家にたたりあれ)” は、今聞いても激しい怒りそのものです。『ジュリアス・シーザー』の “Friends, Romans, countrymen, lend me your ears(友よ、ローマ市民よ、同胞よ、我に耳を傾けよ)” は、英語劇の中でもっとも有名な書き出しの一つでしょう。『ロミオとジュリエット』の “Parting is such sweet sorrow(別れは甘くも切ない悲しみ)” は、相反する二つの感情を同時に抱えた言葉として、繰り返し引用されてきました。
ごく短い言い回しですら、文化的な定番になっています。『オセロ』の “foregone conclusion(既定路線・分かりきった結論)”、『テンペスト』の “fair play(フェアプレー、公正なやり方)”、『間違いの喜劇』の “neither rhyme nor reason(筋も道理もない)”、『マクベス』の “what’s done is done(済んだことは仕方がない)” などは、今の英語でもごくあたり前に聞こえます。
シェイクスピアの冴えた造語センス
シェイクスピアの大きな強みの一つは、「正確さ」と「劇的なインパクト」を同時に持つ言葉遣いでした。『オセロ』の “Jealousy is the green-eyed monster(嫉妬は緑の目をした怪物だ)” は、感情に忘れがたい姿かたちを与えます。同じく『オセロ』の “Wear your heart on your sleeve(感情を隠さず表に出す)” は、誰にでもイメージしやすい比喩です。『ウィンザーの陽気な女房たち』の “The world’s your oyster(世界はあなたの思いどおりになる/可能性は無限だ)” は、今でもチャンスや可能性を示す表現として使われています。
別の台詞が残っているのは、その語感が特別に強烈だからです。『マクベス』の “At one fell swoop(一気に、一挙に)” は、素早く荒々しいニュアンスがあります。『ヘンリー六世 第二部』の “dead as a doornail(完全に死んでいる・絶望的にダメ)” は、率直で一度聞いたら忘れにくい言い方です。『ハムレット』の “Hoist with his own petard(自分の仕掛けた罠に自分がかかる)” は、言い回し自体は古風に聞こえるものの、今なお生き残っています。
この最後の表現は、シェイクスピアがいまも読み手を惹きつける理由をよく示しています。すぐに意味が分かる台詞もあれば、言葉づかいが古めかしくなったぶん、どこか不思議なエネルギーを帯びて聞こえるものもある。語彙が古びても、表現そのものは生き延びることがあるのです。
愛、時間、権力、そしてトラブル
シェイクスピアと結び付けられている日常的な表現の多くは、人々がいつの時代も語り続けてきたテーマ――愛、対立、野心、自分とは何か、運命――に関わっています。
愛に関して、英語はこんな台詞を受け継ぎました。「If music be the food of love, play on(もし音楽が恋の糧なら、どうか鳴り続けてくれ)」「The course of true love never did run smooth(真実の恋の道のりは決して平坦ではない)」「star-crossed lovers(星に運命を阻まれた恋人たち)」「What’s in a name?(名前に何の意味がある?)」などです。これらの表現が生き続けているのは、大きな感情を、忘れがたい言葉のかたちに結び付けているからです。
対立や危険を語るときには、「Beware the ides of March(三月十五日に気をつけろ)」「let slip the dogs of war(戦争という猛犬を解き放て)」「jaws of death(死のあぎと)」「something wicked this way comes(何やら邪悪なものがこちらへやって来る)」といった台詞があります。野心や地位については、「Uneasy lies the head that wears the crown(王冠を戴く者の頭は安らかならず)」「Some are born great, some achieve greatness, and some have greatness thrust upon 'em(偉大さを持って生まれる者もいれば、努力して偉大さを手にする者もいるし、望まずして偉大さを押しつけられる者もいる)」といった言葉が、今もよく知られています。
思索や自分自身について言えば、『ハムレット』だけでも驚くほど多くのフレーズが日常語に残りました。「Brevity is the soul of wit(簡潔こそ機知の魂)」「Neither a borrower nor a lender be(借りても貸してもいけない)」「To thine own self be true(自分自身に正直であれ)」「The lady doth protest too much, methinks(あのご婦人は否定しすぎて、かえって怪しい)」「The readiness is all(すべては備えが肝心だ)」「To be or not to be, that is the question(生きるべきか、死ぬべきか――それが問題だ)」などです。
これらの台詞が残ったのは、飾りとしての名文句だからだけではありません。人生について語るための「言葉の道具」として機能しているからです。
本当に全部シェイクスピアの発明?
よくある語り方では、シェイクスピアは一人で大量の新語を生み出した「言葉の工場」として描かれます。たしかに、彼が英語のあり方を大きく形作ったという意味では、そのイメージには一理あります。しかし、現実はもう少し複雑です。
彼が多くの新語を作り出した、というのはおそらく事実でしょう。その一方で、後世の研究では、従来の主張が彼の独創性をやや誇張している可能性も指摘されています。歴史家ジョナサン・ホープは、オックスフォード英語辞典(OED)初版の編纂にあたったヴィクトリア朝時代の学者たちが、シェイクスピアの作品をとりわけ詳しく読み込み、好んで引用したと論じました。その結果、ほかの作家が先に使っていたかもしれない語や意味についても、「初出」としてシェイクスピアにクレジットされることが多くなったのです。
だからといって、彼の影響が小さいということにはなりません。「シェイクスピアによる初出記録」と「シェイクスピアの完全な創案」は、必ずしも同じではない、というだけの話です。ある語では彼が本当に生みの親だったかもしれませんし、別の語では、彼が広めたり、生き残るかたちに整えたりしたのかもしれません。
いまも日常英語にシェイクスピアが響くわけ
本当に重要なのは、シェイクスピアが何でも一番最初に言ったのかどうか、という点だけではありません。問題は、なぜこれらのフレーズが生き残ったのか、ということです。彼の表現は、鮮やかで、簡潔で、耳に心地よく、さまざまな場面に応用が利きます。少ない言葉で、ユーモラスにも、残酷にも、ロマンチックにも、陰鬱にも、賢明にもなれる。記憶に残るように作られているからこそ、ふだんの会話の中で機能し続けているのです。
だからこそ、人々はいまも “come what may(何が起ころうとも)” と言ったり、結果を “a foregone conclusion(最初から決まっていた結末)” と表現したり、誰かを “night owl(夜型人間・夜更かし好き)” と呼んだり、「there’s a tide in the affairs of men(人の営みには追い風となる潮時がある)」と警告したり、「the better part of valour is discretion(勇気の大事な部分は慎重さだ)」と冗談めかして言ったりするのです。何百年たっても、これらの台詞は相変わらず使い勝手がいいのです。
ですから、たとえ『マクベス』や『ハムレット』、『テンペスト』を一度も開いたことがなくても、あなたの口の中にはすでにシェイクスピアが住んでいるかもしれません。英語における彼の「死後の人生」は、文学の中だけにあるのではありません。日々の会話そのものの中にあるのです。














