ことばの変化:ことばの「気が変わる」とき

言語のいちばん意外な変化のいくつかは、発音や文法には起きません。変わるのは、言葉の“中身”、つまり意味そのものです。なじみのある単語でも、もともとの意味から出発して新しい連想をまとい、やがては当初とはまったく違うことを表すようになることがあります。

こうした変化は「言語変化」という、大きな流れの一部です。言語は時間とともに変化していきますが、いきなり一気に変わるわけではありません。古い使い方と新しい使い方が長いあいだ並び立つ「ゆれ」の時期を通るのがふつうです。そのため、ある世代には違和感のある言い方が、別の世代にはごく当たり前に聞こえる、ということが起こります。

意味が暗くなったり、明るくなったりするのは、そのよい例です。言語学では、こうした変化を「悪化(ペジョレーション)」や「改善(アメリオレーション)」といった用語で説明します。少し専門的に聞こえますが、考え方は単純です。言葉がまとっている感情的な色合いが、よりネガティブな方向や、よりポジティブな方向へとずれていくのです。

既存の単語の意味が変化していくことは、専門的には「意味変化」と呼ばれます。つまり、単語そのものは残っていても、その中身である意味は一定ではいられない、ということです。

意味変化には、いくつか基本的なパターンが知られています。

悪化と改善

「悪化(ペジョレーション)」は、その語がもともと持っていたポジティブな含みが、ネガティブなものへと移っていく変化です。ここでいう「含み」とは、辞書に載っている表向きの意味を超えた、その語が運ぶ感情的・社会的な色合いのことです。たとえ指している対象が大まかには変わらなくても、その言葉を使うときの印象や感情の方向性が、時間とともに悪くなっていくことがあります。

逆に「改善(アメリオレーション)」は、その反対です。ある語の持つ含みが、よりポジティブなものへと移行していく変化を指します。

こうした変化は、意味が単なる定義だけで成り立っているわけではないことを教えてくれます。重要なのは、態度や社会的な位置づけ、そして日常生活の中で人々がその言葉をどう使っているか、という点なのです。

“villain” のふしぎな歴史

悪化の典型例としてよく挙げられるのが、“villain” という語です。英語に入ってきた当初、“villain” は「農民」や「農場で働く人」を意味していました。その後、「身分の低い者」「ろくでなし」といった意味合いが加わり、しだいにネガティブな側面だけが残っていきました。

こうして “villain” は、語の社会的・感情的な重さが変わっていく、わかりやすい例になりました。もともとは「田舎で働く人」を指していた語が、やがて「悪人」のレッテルへと変わってしまったのです。

これは、言葉が単に事実だけを運んでいるわけではない、という有用な思い出し方でもあります。言葉は評価や判断も一緒に運びます。いったん強いマイナスの連想をまとってしまうと、その連想が最終的に意味全体を支配するようになることがあるのです。

“wicked” はどうして「最高」になったのか

“villain” が意味をどんどんきつくしていった例なら、“wicked” は逆方向に動いた例です。くだけた英語では、“wicked” は本来の「邪悪な」という意味から離れ、「すごい」「最高」といった、ずっとポジティブな意味へと広がってきました。

これは改善(アメリオレーション)の一種です。ネガティブな意味を持っていた語に、好意的な意味が新たに生まれるわけです。最初は、むしろ逆さまのように感じられるかもしれません。「悪」と結びついていた単語が、どうして「すばらしい」や「見事だ」といった意味になりうるのでしょうか。

とはいえ、話し手たちはこうした変化を日常的にさばいています。単語の意味は、誰が、どんな調子で、どんな場面で使っているか、といった文脈に大きく依存します。言葉には、いつも同じ感情的な値札がぶら下がっているわけではないのです。

それでも人々があまり騒がない理由

話し手たちが、こうした意味の変化をそれほど大きな騒ぎにせず受け入れてしまいがちな背景には、ちょっとおもしろい事情があります。人々は、もともと自分の言語の中にある「ゆれ」に慣れているのです。

ここで役に立つのが「共時的変異(synchronic variation)」という考え方です。これは、同じ時代に生きている人たちのあいだに、同じ言語の異なる使い方が並存している状態を指します。世代や地域、社会集団によって、同じ単語を違う意味で使うことはよくありますが、聞き手の側はたいてい自動的に文脈から判断します。

だから、“wicked” という語を年配の女性から聞いたときには「邪悪な」という意味で受け取り、少し後にティーンエイジャーから聞いたときには「最高」「すごい」と理解できるのです。長く混乱し続けることはまずありません。人間の脳は、文字通りの意味だけでなく、社会的な意味合いを読み取る訓練をすでに積んでいるからです。

この柔軟さが、言語変化がいつまでも続く理由のひとつです。新しい用法は、必ずしも革命のように突然広まるわけではありません。たいていは、数あるバリエーションのひとつとしてひっそり始まります。十分多くの人がそれを採用すれば、それが「ふつう」になるのです。

言語変化は一瞬ではなく、じわじわ進む

「人が言葉を間違った使い方をし始めると、言語は急におかしくなる」というのは、よくある思い込みです。現代言語学は、「変化そのものを良いか悪いかで判断する」という考えを退けます。科学的な立場からすると、新しい言葉づかいは、ただちに「堕落」や「乱れ」とはみなされません。それはまず、「変化」であると見なされます。

この見方は、とりわけ “villain” や “wicked” に見られるような意味変化を考えるうえで重要です。こうした変化はたいてい、長い時間をかけて進みます。新しい意味と古い意味がしばらく共存し、一部の話し手は新しい用法を積極的に使い、別の人たちは抵抗し、多くの人がその両方を理解します。

この共存こそが、言語変化を可能にしているのです。ひとつの単語が、しばらくのあいだ二つの「人生」を同時に生き、やがてどちらか一方が主流になる、というわけです。

意味が「狭くなる」「広くなる」こともある

意味の変化は、必ずしも「やさしくなる」「きびしくなる」といった感情の方向だけに起きるとは限りません。語がカバーする範囲そのものが変わることもあります。

ある語の使える範囲がより限定されていくことは「意味の狭化」と呼ばれます。反対に、使える範囲が広がっていく場合は「意味の拡大」です。

たとえば “hound” は、かつてはあらゆる犬を指す語でしたが、現代英語では特定のタイプの犬だけを表すようになっています。これは狭化の例です。

逆に “dog” は拡大した語です。古英語の “dogge” は、もともとはある特定の犬種の名前でしたが、その後すべての飼い犬をまとめて指す一般名詞になりました。

こうした例からわかるように、意味変化は感情的な色合いだけの問題ではありません。言葉がカバーするカテゴリーの幅そのものも、変化の対象なのです。

なぜ意味はそもそも変わるのか

言語が変化する理由はさまざまで、意味の変化もその大きな流れの一部です。

ときには、よく使われる言い方が時間とともに感情的・修辞的なインパクトを失っていくことがあります。そうなると、話し手たちは、もっと新鮮でインパクトのある表現を探そうとします。この「表現力」を求める圧力が、新しい意味や新しい使い方を後押しします。

類推も重要です。話し手の集団は、無意識のうちに、ある語や形に見られるパターンを別の語や形にも当てはめようとします。実際には、人々は「なんとなく見覚えのあるパターン」に合わせて、言語を絶えず作り替えているのです。

社会的な要因も欠かせません。言語変化は、しばしば話し手集団のなかのあるサブグループから始まり、そこから広がっていきます。新しい形がより広く採用され、「ふつうの言い方」として受け入れられれば、その時点で変化は定着したと言えます。

この視点から見ると、“wicked” のような語が、ごく一部の使い方にとどまらず広く行き渡る理由も理解しやすくなります。新しい意味を理解し、それをくり返し使う話し手が十分に増えれば、その用法はもはや「新しい」とは感じられなくなるのです。

言語は動き続ける社会を映す

言語は文化と切り離されたところにあるわけではありません。社会が変われば、それに合わせて言葉も変わります。

新しい状況や物事、暮らし方が生まれれば、それを表す新しい表現や新しい意味が求められます。どんな言葉が広まり、どれが廃れていくかには、社会的な「権威」も影響します。人々は、高いステータスと結びついた言葉づかいをまねしたり、逆に評価の低いとされる形を避けたりすることがあります。

発音や綴りにもこうした動きは現れますが、とりわけ意味の変化は、個人的な感覚に直接ふれるぶん目立ちやすいと言えるでしょう。自分が「こういう意味だ」と思っていた単語が、いつのまにか正反対のような意味で使われているのに気づくと、まるで言葉そのものがいたずらをしているように感じられるかもしれません。

しかし、その不安定さこそが、言語を役に立つものにしている側面でもあります。ひとつの言語は、それを使う社会の中で、さまざまな役割を果たさなければなりません。もし新しい意味が何度も便利だと感じられれば、その意味は定着しうるのです。

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意味変化のいちばんすごいところは、人々がそれにいとも簡単に対応してしまう点かもしれません。

聞き手は、複数の意味を持つ言葉を耳にするたびに、いちいち形式的な分析をしているわけではありません。誰が、どんな声の調子で、どんな場面で話しているか、そして共有している社会的な知識に頼っています。日常生活では、人々は言葉そのものだけでなく、その裏にある意図をつねに読み取ろうとしているのです。

だからこそ、「言葉が気を変える」という表現が、どこかしっくり来るのでしょう。もちろん、言葉が文字どおり考えるわけではありません。しかし、話し手の集団は、言葉に何をさせるかを常に交渉し直していて、聞き手の側も驚くほどのスピードでそれについていきます。

“villain” が「農場で働く人」から「悪党」へと移り変わり、“wicked” が「邪悪な」から「最高の」「すごい」へと振り子のように動くとき、そこにあるのは混乱ではなく、むしろ適応の物語です。意味は使われることで生きており、その「使われ方」はけっして止まることがありません。

それがなぜ重要なのか

こうした意味の変化を調べることは、単におもしろい語源のエピソードを集める以上の意味を持ちます。そこから見えてくるのは、時間と社会生活、人間の解釈行為によって形づくられる「生きたシステム」としての言語の姿です。

意味変化は、意味が辞書の中で永久に固定されているわけではないことを思い出させてくれます。意味は、会話の中で、世代をまたいで、同じ単語をまったく違うふうに聞いているかもしれないコミュニティ同士のあいだで、何度も作り直されているのです。

だからこそ、言葉は出発点からずいぶん遠くまで漂っていくことがあります。それでもなお、人々がおたがいを理解し合うことができるのです。

言語が変わるのは、人が変わるからです。

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