音楽はしばしば、消えてしまうはかないものだと考えられます。鳴った瞬間に消えてしまう一時的な音。しかし、古代から奇跡的に現代まで生き延びた楽曲が、ほんのわずかに存在します。楽譜としての記譜や、粘土板、長持ちする碑文のおかげで、人類が知る最古級の「書き残された音楽」のいくつかが、数千年の時を超えて私たちのもとに届いています。
こうして残った証拠からは、古代社会が音楽をどのように扱っていたのかを垣間見ることができます。そこには、娯楽にとどまらず、教育・儀礼・文化的記憶といった役割を担う音楽の姿があります。
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現存する最古の楽譜付きの歌
古代世界から伝わるもっとも驚くべき遺物のひとつが「ニッカルへのフリ語賛歌(Hurrian Hymn to Nikkal)」です。古代シリアの都市ウガリットで発見された粘土板に刻まれており、紀元前1400年ごろのものとされています。これは、現存する「最古の楽譜付き音楽作品」として知られています。
ここでいう「楽譜付き音楽作品」とは、その音楽が、どのように演奏されるべきかを伝えることを目的とした記譜体系で書き記されている、という意味です。これは重要な点です。なぜなら、古代の音楽のほとんどは、現代になっても演奏可能な形では残っていないからです。考古学的には楽器が出土し、当時の絵や彫刻には演奏する人々が描かれていても、「譜面」の形で残っていなければ、その曲そのものを再現することはできません。
フリ語賛歌がとりわけ印象的なのは、古代のオリエント世界の人々が、音楽を作るだけでなく、それを長く残る媒体に記録していたことを示しているからです。粘土板は強力なタイムカプセルです。人から人へと口頭で伝えるだけの伝承と異なり、文字に書き残されたものは、驚くほど長い時間を超えて作品を保存することができます。
人類社会における音楽の歴史は非常に古いと考えられますが、「いつからあったか」と「何が残っているか」は別の問題です。先史時代の音楽については、考古学的に見つかったごく初期の笛などから推測するしかありません。記事では、現時点で広く受け入れられている最古の楽器として、ドイツのシュヴァーベン・ジュラ地方の骨笛が挙げられています。これはオーリニャック期に属し、ギーセンキョーステルレ(Geissenklösterle)遺跡出土のものの年代は約4万3,150〜3万9,370年前とされています。
しかし、楽器があることと、具体的な「曲」が分かることは別です。笛そのものは、音楽が演奏されていたことを示しますが、実際にどのような旋律が吹かれていたかは教えてくれません。それを知るには、何らかの記譜、あるいは完全な形での保存が必要になります。だからこそ、古代の「書き残された音楽」がきわめて稀であり、同時に非常に重要なのです。
多くの音楽伝統は、口頭あるいは耳から耳へと伝えられてきました。口承伝統では、歌は文字ではなく記憶と繰り返しの演奏によって受け継がれます。これは音楽を何世代にもわたって生かし続ける一方で、古い形が変化したり、時に完全に失われたりすることも意味します。作品が楽譜に固定されていれば、はるか未来の聴き手に届く可能性はぐっと高くなります。
古代ギリシアと音楽の「まじめさ」
古代ギリシアでは、音楽は単なる娯楽以上のものでした。社会生活や文化の中核に位置づけられ、子どもに教える主要な教科のひとつだったのです。音楽教育は魂を形づくるものと考えられ、音楽教育を受けた者は高貴で調和のとれた存在とみなされました。
この考え方は、音楽がギリシア文明にとってどれほど中心的であったかを物語っています。音楽は祭りや演劇の場だけに限定されたものではなく、教育そのものの一部とされていました。少年たちは6歳頃から音楽を学び、音楽家や歌い手はギリシア演劇において重要な役割を担っていました。
また、ギリシアにおける音楽理解は、単なる演奏の域を超えていました。ギリシアの音楽的リテラシーは重要な音楽的発展をもたらし、ギリシアの音楽理論における旋法は、その後の西洋の宗教音楽やクラシック音楽の基盤となっていきます。つまり古代ギリシアは、音楽を楽しむだけでなく、それを研究し、教授し、理論体系として構築していたのです。
彼らの楽器には、二重リードのアウロス(aulos)や竪琴(リラ)、とりわけキタラ(kithara)と呼ばれる形式のものが含まれていました。混声合唱団が祝祭や娯楽、宗教儀式のために歌い、演奏したことからも、音楽が教育と儀礼、そして公共生活のあいだを自在に行き来していたことが分かります。
現存する「完全な」楽曲
ニッカルへのフリ語賛歌が「最古の楽譜付き音楽作品」とされる一方で、「セイキロスの墓碑銘(Seikilos epitaph)」は別の意味での最古記録を持ちます。これは、世界で現存する中でも「完全な形で残る楽曲であり、かつ楽譜も伴う」最古の例だと説明されています。
ここで重要なのは「完全」という点です。完全な楽曲とは、断片ではなく、ひとつの作品として一通りの形が保たれていることを意味します。そのため、セイキロスの墓碑銘は、何世紀もの時間をまるごと越えて伝わってきた一曲の歌として、非常に生々しく感じられるのです。
音楽史の研究者にとって、これは特別な意味を持ちます。古代の音楽文化は、多くの場合、文献中の言及や、楽器を描いた図像、断片的な譜例といった「散らばった証拠」からしか窺えません。完全な楽曲が残ることははるかに稀であり、古代世界において音楽がどのように構成され、記憶されていたかを、より直接的に示してくれます。
セイキロスの墓碑銘が今日まで残ったことは、記譜そのものの価値を改めて浮かび上がらせます。楽譜とは、音高やリズムを記号で表したものです。作曲家や当時の聴衆がいなくなって久しい時代になっても、演奏者が旋律を再現できるように、音とリズムを記録しておくことができます。記譜がなければ、ひとつの曲は、記憶が続くあいだしか存在できません。
教育・儀礼・アイデンティティとしての音楽
シリアやギリシアの現存例からは、さらに広い事実も見えてきます。それは、古代社会において音楽が極めて重要な役割を果たしていたということです。エジプトでは、先王朝時代までさかのぼる楽器の証拠があり、古王国期にはハープ、フルート、二重クラリネットが演奏されていました。音楽は舞踊とともに演じられ、エジプトの民俗音楽には、古代エジプト音楽に近い特徴やリズム、楽器が保たれているとされています。
古代ギリシアでは、音楽は教育と演劇の中核にありました。古代世界のほかの地域でも、それぞれ独自の楽器、調律法、演奏習慣が発達しています。たとえばインド古典音楽は、世界でも最古級の音楽伝統の一つとされ、中国古典音楽は約3,000年にわたる歴史を持つと説明されています。
こうした広い歴史的背景を踏まえると、少数ながら現存する古代の歌が、なぜこれほど魅力的なのかが分かります。それらは単なる珍品ではありません。人間社会にとってきわめて重要だった何かの「ごくわずかな生き残り」にほかならないのです。
記譜がもたらした変化
記譜は、音楽を「その場限りの出来事」から「記録」へと変えました。音楽が書き記せるようになると、より一貫した形で教えることができ、遠く離れた土地へと伝え、長い時間にわたって保存することが可能になります。後のヨーロッパでは、記譜のおかげでカトリック教会が聖歌の旋律を広大な地域に広めることができました。しかし、音楽を文字に残したいという欲求自体は、もっとずっと古い時代から存在していたことを、古代の例は示しています。
とはいえ、記譜がすべてを捉えられるわけではありません。たとえ比較的精密に楽譜が書かれていても、演奏者はテンポやフレージング、表現様式について判断しなければなりません。このプロセスは「解釈」と呼ばれます。それでも、旋律や楽曲の骨格を十分に保存することができるため、他のほとんどすべてが失われた後でも、その音楽が生き残る余地が生まれます。
まさにそれこそが、フリ語賛歌やセイキロスの墓碑銘を特別な存在にしている理由です。これらは単なる古い物体ではなく、「人間の表現行為そのもの」が封じ込められた記録なのです。
古代の生き残りが今も意味を持つ理由
現存する最古の音楽は、何千年も前の人々が、いまの私たちと同じように「音に意味を与えようとしていた」ことを思い出させてくれます。人々は歌を作り、子どもに音楽を教え、儀式や学びと結びつけ、そしてごく限られた特別なケースにおいては、後の時代の人々が「かつてそこに音があった」と知るに足るものを遺してくれました。
ニッカルへのフリ語賛歌は、紀元前1400年頃の古代シリアにすでに書き記された音楽が存在していたことを示しています。セイキロスの墓碑銘は、古代世界から完全な形の楽曲とその楽譜が生き延びうることを証明しています。そして古代ギリシアの例は、音楽教育がどれほど重んじられ、個人や文化を形づくる営みの中心に音楽が置かれていたかを教えてくれます。
ほとんどの古代の演奏は、永遠に失われてしまいました。そんな中で、いくつかの楽曲が今も重要であり続けるのは、たとえどれほど遠い過去のものであっても、音楽は必ずしも跡形もなく消えてしまうわけではない、という事実を示しているからなのです。

















