人類の歴史はアフリカから始まる。都市も文字も農業もまだ存在しなかったはるか以前から、この大陸には人類の系統に属する初期の仲間たちが暮らしていた。そのためアフリカは、現生人類の「ゆりかご」と呼ばれることが多い。広く受け入れられている見解では、ホモ・サピエンス(現生人類)はアフリカで誕生し、アフリカは地球上で最も長く人が住み続けてきた地域だと考えられている。
古人類学者とは、化石や骨、その他の物的証拠を通して、太古の人類とその近縁種を研究する科学者のことである。彼らの研究成果によって、「人類史の最も深い一章の舞台はアフリカである」というイメージが形づくられてきた。
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現生人類が生まれた場所
現生人類を意味するホモ・サピエンスは、おおよそ35万〜26万年前にアフリカで誕生したと考えられている。これは、私たちの種の起源が、文明の誕生よりはるか以前にアフリカ大陸にさかのぼることを意味する。ホモ・サピエンスが現れるより前から、アフリカにはすでに類人猿に近い人類や、その近縁の種が住んでいた。
アフリカでは、アウストラロピテクス・アファレンシス(約390万〜300万年前)、パラントロプス・ボイセイ(約230万〜140万年前)、ホモ・エルガスター(約190万〜60万年前)といった初期人類の化石が発見されている。こうした発見の数々が、人類の起源研究においてアフリカが中心的な位置を占める大きな理由となっている。
アフリカが「人類の出発点」とされるのは、特定の一つの化石や遺跡だけによるのではない。数百万年にもおよぶ人類史がこの大陸に刻まれているという、圧倒的な時間的な広がりがあるからだ。アフリカから外へ広がっていった後の移動の歴史は、そのはるか以前から続く物語の一章にすぎない。
アフリカからの大移動

アフリカでホモ・サピエンスが進化したのち、この大陸には主に狩猟採集民の集団が暮らしていた。狩猟採集社会とは、農耕や牧畜ではなく、野生の植物や動物に頼って生活する社会のことである。こうした初期の現生人類は、その後アフリカを後にして世界各地へ広がっていった。この移動は「アフリカからの移住(アウト・オブ・アフリカ)II」と呼ばれ、およそ5万年前ごろと考えられている。
では、どのようなルートでアフリカを出たのだろうか。いくつかの経路が想定されている。
ひとつは、アフリカとアラビア半島の間で紅海の南端に位置する細い海峡、バブ・エル・マンデブ海峡を渡るルートである。もうひとつは、モロッコとスペインの間で大西洋と地中海をつなぐジブラルタル海峡を越えるルート。そして3つ目の可能性が、アフリカとアジアをつなぐエジプトのスエズ地峡という陸橋を通るルートである。
どのルートをたどったかは、人々の移動や環境の変化、その時期をどう復元するかに大きく関わる。具体的な経路は今も研究が続けられているが、より大きな全体像は見えつつある。すなわち、現生人類はアフリカから広がり、やがて地球全体へと分布を広げたということである。
移住の後のアフリカ

一部の人々が外へ出たところで物語が終わるわけではない。アフリカにはその後も多くの人々が暮らし続け、この大陸は独自の、そして驚くほど多様な歴史を歩んでいく。
ほぼ同じ時期に、アフリカ内部でも現生人類の移動があったことを示す証拠がある。南部アフリカ、南東部アフリカ、北アフリカ、サハラ地域などで早期の定住の痕跡が見つかっているのだ。つまりアフリカは、「いつか出ていくのを待つだけの静かな故郷」ではなかった。移動と適応、生存が絶えず繰り返される、変化に富んだ舞台だったのである。
氷期が終わったのは紀元前1万500年ごろと推定され、その頃サハラは再び緑豊かな肥沃地帯になった。内陸部や海岸沿いの高地に移っていた人々が戻ってきて、タッシリ・ナジェールなどの岩絵には、かつてのサハラが水に恵まれ、多くの人々と豊かな生き物に満ちていた様子が描かれている。しかしその後、気候は次第に温暖かつ乾燥していく。紀元前5000年頃までにサハラは次第に乾き、住みにくい環境となり、紀元前3500年頃には急速な砂漠化、つまり肥沃な土地が砂漠へと変わる現象が起きた。
こうした大規模な環境変動は、地域の人々の暮らしに深く影響した。人がどこに住めるか、何を狩ることができるか、やがてはどこで家畜を飼ったり農耕を行ったりできるかが、環境によって左右されたのである。
狩猟採集民、牧畜民、そして初期の暮らし
アフリカは長いあいだ、さまざまな社会が入り混じって存在する大陸だった。ここでいう「モザイク」とは、広大な大陸に、生活様式の異なる多様な集団がパッチワークのように広がっている状態を指す。
アフリカでは、家畜としてのウシの飼育は農耕より先に始まり、その後も狩猟採集文化と並行して存在していたとみられている。北アフリカでは紀元前6000年頃までにウシが家畜化されたと推測されており、つまり一部の共同体は、他の人々が依然として主に狩猟採集を行っていた時期に、すでに家畜の群れを追って暮らしていたことになる。
西アフリカでは、ニジェール・コンゴ語族の人々が、紀元前9000〜5000年頃にかけてアブラヤシやラフィアヤシなどの植物を栽培化し、その後、ササゲ、ボアンジュー(アフリカホウセンカマメ)、オクラ、コーラの実などを domestication した。多くの植物が森林環境で育つため、森林を切り開くのに磨いた石斧が用いられた。
このような背景を踏まえると、「アフリカから出た後に何が残ったのか」は、単に「あとに残されたひとつの集団」ではないことがわかる。森林、サバンナ、砂漠、海岸といった多様な環境に、それぞれ異なる形で適応した、きわめて多様な社会が存在していたのである。
コイサンと人類史の深い層
人類の初期の拡散について、特に重要な手がかりのひとつは南部アフリカに残されている。15万年以上前、現代と同じ骨格を持つ人類が南部アフリカに早くから広がっており、記事ではこれを現代のコイサンと結びつけている。
「解剖学的に現代的な人類」とは、骨格や体つきが現代のホモ・サピエンスの範囲に収まる人々を指す。コイサンとは南部アフリカの先住民であり、記事によれば、伝統的な狩猟採集のライフスタイルを保ってきた人々でもある。また、独特の「クリック音(破裂音)」を含む言語で知られ、言語学的にも非常に特徴的な集団だ。
カラハリ砂漠では、しばしばコイサンの一部として言及されるサンの人々が、南部アフリカの先住民として説明されている。記事では、彼らは他の多くのアフリカ人とは身体的特徴が異なり、長きにわたりこの地域に住み続けてきたと述べている。
中央アフリカにも、きわめて古い人類史の痕跡が残る。ピグミーは中央アフリカのバントゥー系民族が到来する以前からの先住民とされ、何千年ものあいだこの地域に暮らしてきたと考えられている。彼らはおよそ5000年前に東方系と西方系の集団に分かれたと推定されている。
これらの例を合わせると、アフリカの人類史における役割は、「ひとつの出発点」を示すだけではないことが見えてくる。古い時代から連綿と続く暮らし方を守り、太古からの適応のパターンを今に伝える共同体が存在している、という長い連続性もまた重要なのだ。
なぜ人類の起源においてアフリカがこれほど重要なのか
アフリカの重要性は、化石と現在の多様性の両方に根ざしている。人類学者のあいだでは、アフリカは世界で最も遺伝的多様性が高い大陸だと考えられており、これは最も長い時間にわたって人間が住み続けてきたことと関係している。この「長い人口史」は、複雑で豊かな痕跡を残しやすい。
地理的条件も、アフリカの役割を理解する手がかりになる。アフリカ大陸は赤道と本初子午線の両方をまたぎ、その気候は熱帯から砂漠、さらには最高峰付近の亜寒帯まで幅広い。中央から南部にかけてはサバンナや熱帯雨林が広がり、北部は広大な乾燥地帯が占める。長い時間スケールで見ると、こうした環境の変化が、人類の適応にとって機会でもあり圧力でもあった。
サハラはその象徴的な例である。今日、多くの人が思い浮かべるような広大な砂漠であり続けたわけではない。湿潤な時期には、人が行き交い暮らす「通路」であり「居住地」でもあった。ある時期には人口を支え、移動を可能にしたが、別の時期には人の往来を阻む障壁にもなった。
こうした環境の変転が、人類の先史時代の複雑さを生み出した。人々は移動し、分かれ、適応し、生き延びてきた。舞台となる景観そのものが、何千年という単位で絶えず変化していたのである。
すべての人に共通する「はじまり」
「私たちの物語はみなアフリカから始まる」という言葉は、単なるキャッチコピーではない。現生人類がアフリカで誕生し、人類進化の最初の章がそこで展開し、その後の大移動によってアフリカ生まれのホモ・サピエンスが地球上に広がっていった、という広く支持された科学的な見方を表している。
アフリカからの「出口」の候補だけを見ても、そこにはドラマがある。バブ・エル・マンデブは、細い海峡を越えての移動の可能性を物語る。ジブラルタルは、地中海世界の西端で大陸同士をまたぐ渡りのイメージを呼び起こす。スエズは、アフリカ北東端にある陸路での接続を示す。これらは単なる地図上の点ではなく、人類史上最大級の旅の「関門」になりえた場所である。
しかし、より深い教訓は「人類がアフリカを去った」という事実だけではない。ホモ・サピエンスの誕生の地として、内部での早期移動の舞台として、そして最古の人類史にまでさかのぼるルーツを持つ共同体の故郷として、アフリカは終始、物語の中心にあり続けたという点である。
現生人類の出発点を探すとき、アフリカは通過点のひとつではない。私たちという種そのものの「スタート地点」なのである。