ブラックホールは光を閉じ込めることで有名ですが、その最も劇的なふるまいは、質量だけでなく「スピン」からも生じます。自転するブラックホールは、暗く重い球が宇宙空間にじっと座っているような存在ではありません。一般相対性理論によると、ブラックホールはそのまわりの時空そのものを引きずり回します。そんな天体の近くでは、空間そのものがまるで渦のようにふるまうのです。
これこそが、スピンが非常に重要である理由です。スピンはブラックホールのまわりの構造を変え、物質がどのように落ち込むかに影響し、さらには宇宙でもっとも強力なジェットを噴き出す手助けをしている可能性があります。とくに印象的な例が2つあります。ひとつは、天の川銀河の中心にある超大質量ブラックホール「いて座A*」で、これは理論上の最大回転速度の約9割で自転していると考えられています。もうひとつは、おとめ座銀河団の楕円銀河M87のブラックホールで、その角運動量は、理論上の最大値にきわめて近いとみられています。
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ブラックホールが「自転する」とはどういうことか
自転するブラックホールは角運動量をもっています。角運動量は回転に対応する物理量です。ブラックホールがすべて静止しているわけではなく、実際にはしばしば高速で自転しています。スピン(自転)は、質量や電荷と並んで、安定したブラックホールを特徴づける3つの性質のひとつです。
これは意外なほど単純に聞こえるかもしれません。「無毛定理」によると、静的なブラックホールは、質量・角運動量・電荷の3つだけで完全に記述されます。言い換えると、ブラックホールが落ち着いた状態になったとき、スピンは些細なディテールではなく、その本質的な特徴のひとつなのです。
天文学者たちは、いくつかの方法でスピンを推定します。ひとつはX線領域での原子のスペクトル線を使う方法です。ブラックホール近くのガスは高エネルギーのX線を放射しますが、物質が落ち込むとき、相対論的な効果によって観測される光は赤いほうへとシフトします。この赤方偏移の大きさは、その物質がどこまでブラックホールに近づいてから落ち込むかに依存しており、その距離はブラックホールのスピンに左右されます。もうひとつの方法は、ブラックホールに降着するガスの温度を、ブラックホールの質量や降着円盤の傾きの測定値と組み合わせる手法です。
スピンがもたらす最も奇妙な結果が「フレーム・ドラッギング(慣性系の引きずり)」です。自転するブラックホールの近くでは、時空そのものがブラックホールとともに回転します。これは単なる比喩ではありません。一般相対性理論は、回転する大質量天体が、その近くの物質や光をブラックホールのまわりの回転運動へと引きずり込むと予言しています。
この効果はブラックホールに近づくほど強くなります。やがて、どんなに無理をしても静止状態を保てない領域が現れます。この領域が「エルゴスフィア」と呼ばれます。
エルゴスフィア:静止が不可能な場所
エルゴスフィアとは、自転するブラックホールの事象の地平線の外側にある体積領域です。内側は事象の地平線、外側は「エルゴ面」で区切られています。極方向ではエルゴ面と事象の地平線は接していますが、赤道方向ではエルゴ面が外側にふくらんでいます。
エルゴスフィアを特別なものにしているのは、その内部からは物質も放射もまだ脱出できる点です。これは、いったん入ると何も脱出できない境界である事象の地平線とは異なります。エルゴスフィアの内側にいるからといって、それだけで破滅が確定するわけではありません。ただし、周囲の時空そのものが引きずり回されているため、ブラックホールと共回転することを強いられます。
これはブラックホール物理学でも最も直感に反するアイデアのひとつです。ブラックホールは空間を進む物体を引っ張っているだけではありません。空間そのもののふるまいを変えているのです。
ブラックホールの自転エネルギーを「盗む」ことはできるのか
原理的には「はい」です。古典的な案が「ペンローズ過程」です。
ペンローズ過程では、ある物体がエルゴスフィアに入り、出てくるときには、入ったときよりも多くのエネルギーをもって脱出します。その余分なエネルギーはブラックホールの自転エネルギーから取り出されたものです。その結果、ブラックホールはスピンを失います。
これは重要な意味をもちます。自転するブラックホールが、ただの受け身の「落とし穴」ではないことを示しているからです。その回転は一種のエネルギー貯蔵庫であり、エルゴスフィアはそのエネルギーを取り出せる舞台を提供しているのです。
記事では、強い磁場をともなう関連するアイデア「ブランフォード=ズナイェク過程」についても触れています。このモデルでは、ブラックホールの自転によって磁力線が引きずられ、それが物質のジェットを宇宙空間へと打ち出す原因になるとされます。この過程は、クエーサーや活動銀河核が示す莫大な光度や相対論的ジェットの有力な駆動メカニズムだと考えられています。
相対論的ジェット:ブラックホールのスピンが宇宙のメガホンになるとき
一部のブラックホールは「相対論的ジェット」と呼ばれる、光速の1割を超える速度でブラックホールから遠ざかる細いプラズマ流を噴き出します。ブラックホールへ落ち込む物質のごく一部が、自転軸に沿って外向きに加速されるのです。
これらのジェットは、ブラックホールから数百万パーセクにも及ぶ長さに伸びる場合があります。さまざまな質量のブラックホールのまわりで観測されますが、典型的には、自転していて強く磁化された降着円盤をもつブラックホールに関連して見られます。
降着円盤とは、大質量天体に向かって落ち込むガスがつくる円盤状の構造です。角運動量があるため、ガスはたいていまっすぐ内側へ落ちるわけではなく、渦を巻きながら落ちてゆき、その過程で高温になって放射を出します。ブラックホールのまわりでは、とくにX線で膨大なエネルギーが放出されることがあります。
ジェットはしばしば降着円盤そのものより明るく輝きます。ジェットをともなう超大質量ブラックホールだと考えられているクエーサーでは、こうしたジェットは宇宙でも最も明るい天体の一部と結びついています。天の川銀河内のより小さな系でも、ジェットをもつブラックホールはしばしば「マイクロクエーサー」と呼ばれます。
ジェットが正確にはどのように形成されるのかは、いまだ解明されていません。ただし、ブラックホールの自転、磁場、そして周囲の円盤構造が、中心的な役割を果たしていると考えられています。
スピンはブラックホール周辺の軌道も変える
スピンはエルゴスフィアを生み出すだけでなく、どこに安定した軌道が存在できるかも変えてしまいます。
一般相対性理論では、質量をもつ粒子がブラックホールのまわりを安定して円運動できる最小半径が存在します。これが「最内安定円軌道(ISCO)」です。その半径より内側では、わずかな乱れでも物質は内側へ渦を巻くように落ち込んでしまいます。
自転するブラックホールでは、ISCO の位置は、物質がブラックホールの自転と同じ向きに回るか(順行)、逆向きに回るか(逆行)によって変化します。同じ向きに回る順行運動の場合、ISCO はより内側へ移動します。逆行運動の場合は、逆に外側へ押し出されます。
これは天文学にとって大きな意味をもちます。物質が落ち込む直前までどれだけブラックホールに近づけるかによって、環境の極限度が変わるからです。それは温度や放射の性質に影響し、ひいては天文学者がスピンを推定する際に頼りにする観測的な手がかりにも関わってきます。
極限的なスピンを測る
なかには、信じられないほど高速で自転しているように見えるブラックホールもあります。
M87のブラックホールは、無電荷ブラックホールに対して理論的に許される最大値にきわめて近い角運動量をもつと見積もられています。天の川銀河の中心にあるコンパクトな電波源いて座A*は、最大回転速度のおよそ90%で自転しているとされています。
これらの数値が驚異的なのは、スピンには理論的な上限があるからです。もしブラックホールがその限界を超えて自転すると、通常の事象の地平線が今と同じ形では存在しなくなり、「裸の特異点」と呼ばれる状態になると考えられます。多くの物理学者は、そうした天体は現実的な重力崩壊では形成されないのではないかと考えていますが、この問題はまだ決着していません。
また、自然な過程は一般に、ブラックホールを絶対限界までスピンアップさせるのに逆らう方向に働きます。そのため、天文学者がほぼ最大スピンと解釈される状態を見出したとき、それは既知の理論で許される最も極端な状態のひとつを見ていることになります。
スピンはブラックホールの外側の世界にも効いてくる
スピンの影響は、ブラックホールのごく近傍にとどまりません。スピンは近くの時空の形を変え、物質がどこまで接近して軌道を保てるかを決め、観測に用いられるX線信号に影響し、大規模なジェットを駆動して周囲の環境を作り変えるかもしれません。
活動銀河核では、ブラックホールの活動が膨大なエネルギー放出と結びついています。ジェットは近傍のプラズマ空洞をエネルギーで満たし、銀河中心のガスに影響を与えうると考えられます。降着にともなう風や放射も、星形成に影響を与える可能性があります。つまり、超大質量ブラックホールのスピンは、孤立した奇妙な性質にとどまりません。銀河中心部全体のふるまいを形づくる一因となりうるのです。
ブラックホール物理の「ねじれた心臓部」
質量がブラックホールの重力の強さを教えてくれるとすれば、スピンはその周辺がどれほどダイナミックで奇妙になりうるかを教えてくれます。自転するブラックホールは時空を強制的に回転させ、静止不可能なエルゴスフィアを生み出し、ペンローズ過程やブランフォード=ズナイェク過程のような仕組みを通じて、自転エネルギーの一部を外界へ渡すことさえありえます。
その意味で、スピンは天体物理学のなかでもとりわけ魅力的な特徴のひとつです。ブラックホールはそれだけで極限的な存在ですが、ひとたび自転しはじめると、単に光を閉じ込めるだけではありません。宇宙という舞台そのものをねじってしまうのです。














