細胞――たった1個の細胞が人の体になるまで

約30兆個もの細胞からなる人間の体が、もともとはたった1つの細胞から始まるとは、にわかには信じがたいかもしれません。しかし、動物の発生はまさにそのように始まります。出発点は、あらゆる細胞型になれる「全能性(トーティポテント)」をもつ受精卵(接合子)1個です。この最初の細胞から、何度も何度も細胞分裂を繰り返し、やがて組織や器官をつくる、多様な専門的機能をもつ細胞たちが生まれていきます。

1つの細胞が完全な個体へと変化していく過程は、生命の最も驚くべき特徴の1つです。その背後にあるのは、生物学の基本原理――「細胞は生物の構造と機能の最小単位である」という事実です。つまり、あらゆる組織も、あらゆる器官も、体のあらゆる器官系も、最終的にはすべて細胞によってできています。

動物では、体をつくるすべての細胞は、全能性をもつ二倍体の1個の細胞、受精卵(接合子)から発生します。「全能性」とは、この細胞が体を構成するすべての細胞型を生み出す能力を持つことを意味します。いわば究極の生物学的スタート地点です。

発生が始まると、この最初の細胞は何度も分裂を繰り返します。とはいえ、その分裂がいつまでも同じ細胞のコピーを増やしているわけではありません。時間がたつにつれて、細胞は少しずつ異なる道筋をたどり始めます。形や働きが変わり、次第に専門化していくのです。こうして胚の中に多様な組織や器官が形成されます。

「二倍体」とは、2組の染色体をもつ細胞のことです。植物や動物の体を構成する二倍体の細胞は「体細胞」と呼ばれます。これは、減数分裂によってつくられる一倍体の配偶子とは区別される、いわゆる「普通の体の細胞」です。

1つの細胞から多様な細胞型へ

1個の細胞が何百種類にもなる

1個の全能性細胞から数百種類もの専門的な細胞型が生まれていく変化は、「分化」と呼ばれます。分化とは、発生が進む中で細胞の構造や機能に変化が起こることを指します。

このプロセスは、環境からの合図と、細胞自身がもつ内的な違いの両方によって進行します。環境からの合図には、たとえば細胞同士の接触や情報伝達など、近くにある細胞の影響が含まれます。一方、内的な違いには、細胞分裂の際に特定の分子が均等ではなく偏って分配されることなどから生じる差異があたります。

要するに、細胞が偶然バラバラな性質をもちはじめるわけではありません。細胞は周囲から受け取るシグナルと、自身の内部で起こる変化によって進むべき道を「指示」されているのです。こうしたシグナルが多くの分裂を経て積み重なることで、細胞はより高度に専門化していきます。

胚葉から組織をつくる

その総数は桁違いに多い

動物の胚発生の過程で、細胞はさまざまな組織や器官へと分化していきます。異なるグループの細胞は、「胚葉」と呼ばれる構造から生じます。

海綿動物のように胚葉を1層しかもたない動物もいます。また「二胚葉動物」と呼ばれる動物は、外胚葉と内胚葉という2層の胚葉を持ちます。より進化した動物では、外胚葉と内胚葉の間に中胚葉という第3の層が加わり、これらは「三胚葉動物」と呼ばれます。三胚葉動物は、左右相称の体制をもつ「左右相称動物(ビラテリア)」という大きなグループを構成しています。

これらの胚葉が重要なのは、それぞれが異なる種類の組織を生み出すからです。たとえば外胚葉は、皮膚や腺などの上皮組織に加え、神経組織の一部にもなります。上皮は、器官の内側や体腔の内面を覆う「内張り」となることもあります。

これが「体の設計図」が形になっていく仕組みの1つです。最初の細胞の子孫たちは、均質な細胞のかたまりとしてとどまるのではなく、層構造をつくり、それぞれの層が異なる体の部分へと分化していきます。

人体にはいくつの細胞型があるのか

すべての人は1個の細胞から始まる

人間の体には、非常に幅広い種類の専門化した細胞が存在しています。ヒトでは、およそ200種類の異なる細胞型があると推定されています。

これらは見た目が違うだけではありません。細胞の種類ごとに、担っている役割も適応も異なります。ある細胞は、体表や器官の表面を覆う上皮シートを形成し、別の細胞は神経組織の一部となります。また、特定の役割に特化した、著しく改変された細胞へと変化する場合もあります。

たとえば脊椎動物には、筋細胞のように構造的に大きく変化した特殊な細胞が含まれます。骨格筋細胞や心筋細胞では、通常は「細胞膜」と呼ばれる部分が「筋鞘膜(サルコレマ)」と呼ばれ、細胞質は「筋形質(サルコプラズム)」と呼ばれます。骨格筋細胞は多核化し、複数の核をもつようになることもあります。

動物種によっては、さらに驚くべき特殊細胞を進化させたものもいます。特定の電気魚では、筋細胞や神経細胞が改変され、「電細胞(エレクトロサイト)」という特殊細胞となり、電気エネルギーをつくって蓄え、後で放出できるようになっています。

こうした多様性のすべてを辿っていくと、その起源は1個の受精卵に行き着きます。

成体の体内にある、途方もない細胞数

発生が完了した後のスケールは、ほとんど信じがたいほどです。典型的な成人のヒトの体には、およそ30兆個の細胞が含まれています。

よく引用される推計では、成人男性で約36兆個、成人女性で約28兆個とされています。数字には違いがあるものの、「たった1個の細胞から、数十兆個もの子孫細胞からなる全身が生み出される」という点はやはり驚異的です。

この莫大な数が可能になるのは、細胞が増殖できるからです。多くの細胞は、自らを複製し、タンパク質を合成する能力を持っています(高度に分化した一部の細胞型は例外です)。複製とは、1個の細胞から2個の娘細胞が生じるプロセスです。

動物細胞を含む真核細胞では、細胞分裂は通常、まず核が分裂する「有糸分裂」、続いて細胞本体が分かれる「細胞質分裂」という手順で進みます。DNAの複製は、その前段階である細胞周期のS期に行われます。

動物細胞が専門化できる理由

動物細胞は真核細胞であり、膜で囲まれた核と、多数の膜構造をもつ細胞小器官を含んでいます。これらは細胞内の「専門部署」のような区画です。

動物細胞は、細胞膜に包まれたゼリー状の細胞質をもち、その内部には核、小胞体、リボソーム、ゴルジ体、ミトコンドリア、リソソーム、ペルオキシソーム、エンドソーム、液胞、小胞、ヴォールトなどの構造があります。これらが協調して働くことで、細胞は成長し、情報を処理し、タンパク質をつくり、エネルギーを生み出し、専門的な機能を遂行することができます。

発生において特に重要なのが核です。核には染色体が格納されており、DNAのほぼすべての複製と、RNAの合成(転写)が行われる場でもあります。DNAは細胞が長期的に保持する情報の貯蔵庫です。一方、メッセンジャーRNA(mRNA)は核から指令を運び出し、その情報に基づいてタンパク質が合成されます。

タンパク質こそが、細胞の種類の違いを決定づける中心的な要素です。タンパク質合成は転写から始まり、リボソームでの翻訳へと続きます。そこでアミノ酸がつながれてポリペプチド鎖となり、折りたたまれて機能をもつタンパク質になります。細胞ごとに作り出し、運び分けるタンパク質が違うからこそ、それぞれの細胞は異なる構造と機能を身につけられるのです。

シグナルが細胞の「運命選択」を助ける

発生中の体の中で、すべての細胞が同じままでいない大きな理由の1つが「細胞シグナル伝達」です。細胞シグナル伝達とは、細胞が自分自身、他の細胞、そして環境と情報をやり取りするプロセスです。

多くのシグナル伝達は化学的な仕組みをとります。典型的には、「リガンド」と呼ばれる一次メッセンジャーが受容体に結合するところから始まります。受容体は、形質膜(細胞膜)上や細胞内部に存在するタンパク質です。細胞は、特定の細胞外シグナル分子に対してだけ反応できるようにプログラムされています。

こうした「選択的な応答能力」があるからこそ、発生、組織の修復、免疫、恒常性の維持が可能になります。発生の文脈では、近くにある細胞同士が互いに影響し合い、ある細胞群は皮膚に、別の細胞群は神経組織や腺組織になる、といった違いが生まれる理由の一端を説明してくれます。

ここでも細胞膜が積極的な役割を果たします。細胞膜は「選択的透過性」をもち、何を細胞内に入れ、何を外に出すかを制御しています。また、ホルモンなどの外部シグナル分子を検知する細胞表面受容体を備え、外界からの情報を細胞内へと伝える役割も担っています。

組織をまとめるしくみ

細胞が専門化していくにつれ、組織としてまとまりをもつ必要も出てきます。上皮細胞はそのよい例です。これらの細胞は「細胞間結合」によってシート状に結合しています。細胞同士をつなぎ合わせる接着帯(アドヘレンスジャンクション)やデスモソーム、細胞を基底膜に固定するヘミデスモソームなどがその代表です。

これらの結合は、細胞骨格と連結しています。細胞骨格は、タンパク質フィラメントからなる内部のネットワークで、細胞の形を保ち、支持構造として働きます。細胞骨格はまた、細胞内構造の配置を助け、エンドサイトーシス(取り込み)に関与し、細胞分裂時の細胞質分裂にも重要な役割を果たします。

こうした構造的な組織化がなければ、数兆個もの細胞がまとまって、整った組織や器官をつくることはできません。

1つの細胞から機能する個体へ

受精卵から成体までの旅路は、いくつかの基本的な細胞能力が協調して働くことで成り立っています。

  • 細胞数を増やすための「複製」
  • 専門的な細胞型を生み出す「分化」
  • 発生を調整する「シグナル伝達」
  • 各細胞に必要な装置をつくる「タンパク質合成」
  • 細胞同士が協力して働けるようにする「組織への編成」

細胞が生命の基本単位である以上、発生とは、突き詰めれば「細胞が変化し、増え、コミュニケーションを取り、まとまっていく」物語です。人間の体は、何かそれ以上の神秘的な物質から作られているわけではありません。1個1個の細胞が積み重なってできているのです。

1個の全能性受精卵から、およそ30兆個の細胞と約200種類の細胞型へ――人間の体は、共通の起源をもつ巨大な「細胞の共同体」です。最初の1個の細胞は、ただひたすら大きくなるのではありません。そこから枝分かれした無数の専門化したパーツが組み合わさり、1つの統合された生きたシステムが形作られていくのです。

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