南アメリカとヨーロッパの植民地化

大陸を分けようとした一本の線

南アメリカ史で最も印象的な出来事のひとつは、紙の上にしか存在しない一本の線から始まりました。1494年、スペインとポルトガルはトルデシリャス条約を結び、ヨーロッパ以外の土地をこの2つの海洋国家のあいだで分割しようとしました。条約では、カーボベルデ諸島の西370レグアに想像上の南北線を引きました。この線より西側の土地はスペインに、東側はポルトガルに割り当てられたのです。

地図の上では、これはすっきりとした最終的な取り決めに見えます。しかし現実はまったく違いました。当時は正確な経度を測ることができず、線が地表のどこを通るのか誰も正確には示せなかったのです。条約で用いられたような「子午線」とは、地球儀や地図上を南北に走る想像上の線のことです。その位置を厳密に確定し、守らせることができなかったため、ポルトガルはしだいに当初の分割線を越えて南アメリカでの支配を広げていきました。その拡大の結果として、ブラジルは本来の分割線を越えて西へと広がり、単純に東側だけにとどまることはありませんでした。

こうしてヨーロッパによる植民地化が南アメリカを作り変えた最初期の例が生まれました。それは軍隊や艦隊による支配だけでなく、地図上に引かれた抽象的な線が現実世界に莫大な影響を与えるという形でも起きたのです。

征服は土地だけをめぐるものではなかった

1530年代以降、南アメリカの人々と自然資源は、スペイン、のちにはポルトガルから来たコンキスタドール(征服者)によって繰り返し搾取されました。これらの植民地帝国は土地と富を自らのものと主張し、大陸の大部分をいくつもの植民地に分割しました。

しかしその線は守られなかった

しかし、征服は決して領土だけを意味したわけではありません。労働、宗教、言語、貿易を支配することも含んでいました。植民地体制は、もともと農業、交易、政治組織、都市開発などに長い歴史を持つ先住社会の上に押しつけられました。ヨーロッパ支配以前、この大陸にはすでにカラル=スーペ、チャビン、モチェ、ナスカ、ティワナク、ワリ、ムイスカ、そしてインカ帝国といった大文明が存在していました。クスコを中心としたインカ帝国は1438年から1533年にかけてアンデス一帯の広大な地域を支配し、2万5千キロにも及ぶ道路網によって多様な共同体を結びつけていました。

こうした背景があるからこそ、植民地化はよりいっそう劇的でした。ヨーロッパ人が足を踏み入れたのは「空っぽの土地」ではなく、すでに確立された社会、複雑な経済、深く根づいた文化を備えた大陸だったのです。

疾病が壊滅的だった理由

ヨーロッパによる植民地化の中でも、最も壊滅的な影響のひとつが疫病でした。ヨーロッパ人が持ち込んだ天然痘、インフルエンザ、はしか、発疹チフスなどの感染症は、スペイン支配下にあった先住民社会の大規模な人口減少を引き起こしました。その理由はきわめて残酷なまでに単純でした。先住の人々には、これらの病気に対する免疫抵抗がなかったのです。

そこへ疫病が大打撃を与えた

免疫抵抗とは、ある集団が世代を超えて病原体と接触するうちに、生物学的な防御力をある程度身につけている状態を指します。まったく遭遇したことのない病気が共同体に侵入すると、その結果は壊滅的になりえます。南アメリカでは、これらの疫病が猛威を振るい、各地の人口を一気に減少させました。

ただし、崩壊の原因が病気だけだったわけではありません。植民地支配のもとでの強制労働体制も破壊を加速させました。この記事では、ハシエンダや鉱山労働のミタ制といった制度が人口減少の一因として挙げられています。ハシエンダとは、大規模な農園や牧場であり、生産と労働力の支配の拠点でもありました。ミタ制は、とくに鉱山業と結びついた労働制度です。疫病とこれらの制度が重なり合うことで、先住社会には耐えがたい負担がのしかかりました。

先住民人口が減るにつれ、その労働力を補うために多くのアフリカ人奴隷が連れてこられるようになりました。これも南アメリカ社会を根本から変えていく大きな転換点となりました。

奴隷制度と社会の作り替え

南アメリカのヨーロッパ植民地は、強制労働に大きく依存していました。植民地化の初期段階では、とくに先住民がプランテーションや鉱山での労働を強いられました。同時に、大西洋奴隷貿易を通じてアフリカ人奴隷も連れてこられました。

新しい社会が生まれた

ポルトガルは1502年からアメリカ大陸の植民地にアフリカ人奴隷を送り込み始め、ブラジルはその主要な移送先のひとつとなりました。アメリカ大陸へ連行されたアフリカ人奴隷全体の約4割がブラジルに送られたとされます。1501年から1866年のあいだに、推定490万人ものアフリカ人奴隷がブラジルに到着しました。

このような悲惨な条件下での人の移動は、大陸の人口構成と文化的な姿を永遠に変えてしまいました。南アメリカの文化的・民族的な特徴は、先住民、ヨーロッパからの征服者や移民、そして奴隷として連れてこられたアフリカ人との相互作用の中で形づくられていったのです。

独立後でさえ、奴隷制度はすぐには消えませんでした。南アメリカの各国が奴隷制を廃止した時期はまちまちです。チリは1823年、ウルグアイは1830年、ボリビアは1831年、ガイアナは1833年、コロンビアとエクアドルは1851年、アルゼンチンは1853年、ペルーとベネズエラは1854年、スリナムは1863年、パラグアイは1869年、そしてブラジルは1888年に奴隷制を廃止しました。ブラジルは南アメリカで最後の、そして西洋世界全体でも最後の奴隷制廃止国でした。

言語・宗教・文化の混淆

植民地化は、政治的な国境線を書き換えただけではありません。人々の日常生活そのものを変えていきました。スペイン語とポルトガル語は南アメリカの大部分に広がり、現在も大陸の主要言語として使われています。今日、南アメリカの大多数の人々がどちらか一方を話しているのは、イベリア半島からの植民地支配の直接的な結果です。

一本の仮想の線が大陸を分けた

宗教も言語とともに広がりました。スペイン人入植者は先住民をキリスト教に改宗させることに強い使命感を持っており、その目的に反する先住の信仰や慣習を排除しようとすることも少なくありませんでした。しかし、文化的な結果は単純な「置き換え」ではありませんでした。多くの先住民の集団は、既存の信仰や儀礼とカトリックを組み合わせ、独自の形で信仰を継承していきました。

この「混ざり合い」は社会面でも起きました。ヨーロッパ人と先住民のあいだで婚姻が結ばれ、メスティソと呼ばれる人々が生まれました。メスティソとは、先住民とヨーロッパ人の混血の人々を指します。時がたつにつれ、こうしたコミュニティは南アメリカの人口構成とアイデンティティの主要な一部となっていきました。

同時に、植民地支配がすべての先住言語を消し去ったわけではありません。ケチュア語、アイマラ語、グアラニー語などは話し続けられ、場合によってはこれらの言語によるカトリック布教が、口承のかたちで言語の保存に役立つこともありました。

つまり、植民地化によってスペイン語とポルトガル語が広く普及した一方で、言語や信仰、アイデンティティが重なり合い、単純な一方的置き換えではない「重層的な社会」も生まれたのです。

破壊と結びつきは同時に進んだ

ヨーロッパによる南アメリカの植民地化は、征服、強制労働、奴隷制、疫病、そして先住民の芸術作品や聖なる品々の破壊といった、目に見えるかたちで破壊的でした。金や銀の像や工芸品の多くは破壊され、溶かされてスペインやポルトガルへ運ばれていきました。

それでも植民地化は、同時に新たな結びつきも生み出しました。スペイン語とポルトガル語が広がったことで、それまで相互のつながりが弱かった地域や人々が、大陸規模で言語的に結びついていきました。ヨーロッパ人は西ヨーロッパの建築様式を導入し、発見または征服した都市では橋や道路、下水道といったインフラの整備を進めました。交易や経済関係も、ヨーロッパと南アメリカのあいだだけでなく、南アメリカ各地域同士のあいだでも拡大していきました。

こうした点から、植民地化の遺産がきわめて複雑である理由が見えてきます。それは単線的な「置き換えの物語」ではなく、社会を破壊しながらも同時に新たな社会を作り出した、暴力的で長期にわたるプロセスだったのです。

ブラジルが大陸の中で特異な存在になった理由

トルデシリャス条約とポルトガルの拡張政策の長期的な結果として、もっともわかりやすいもののひとつが、南アメリカにおけるブラジルの独特な位置づけです。大陸の多くがスペイン語圏となる一方で、ブラジルはポルトガル支配のもとで発展していきました。

この違いはいまも大陸規模で影響をもっています。ブラジルは南アメリカ最大の国であり、大陸のほぼ半分の面積を占め、およそ人口の半分を抱えています。近年では大陸全体の国内総生産(GDP)の半分を生み出す存在にもなっています。その規模と言語、そして植民地化を経てきた歴史的な道筋の違いから、ブラジルは、ヨーロッパ支配や先住民の歴史、アフリカからの影響といった大まかな共通点を他国と共有しながらも、独自の存在感を放っているのです。

植民地時代の痕跡はいまも残る

現代の南アメリカには、植民地化の深い痕跡が今も色濃く残っています。国境線、支配的な言語、宗教的伝統、民族的混淆、地域間の格差など、多くの要素が植民地時代と結びついています。この大陸の豊かな文化的多様性は、何世紀にもわたって続いてきた先住民、ヨーロッパ人、アフリカ人の相互作用から大きな恩恵を受けてきました。

現在、南アメリカには12の主権国家があり、人口は4億3400万人を超えます。この広大な大陸のいたるところで、言語分布図から一人ひとりの家族史に至るまで、植民地化の帰結を見ることができます。

紙の上の想像上の線から始まった出来事は、やがて想像上のものではなくなりました。その線は帝国を形づくり、人々の移動を変え、疫病を広め、文化を変容させ、そして今日私たちが知る南アメリカをつくりあげる一因となったのです。

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