地球上のほとんどの生命は、再生産によって始まります。新しい個体は、親となる個体から生まれます。これは、親とほぼ同じ遺伝情報をコピーする無性生殖か、精子や卵のような配偶子を介して遺伝情報を組み合わせる有性生殖という形をとります。しかし、このおなじみのパターンから、ある興味深い科学的問いが生まれます――親をまったく持たない生命はつくれるのだろうか?

この問いは、生物学・化学・哲学の境界に位置しています。再生産そのもの、生命の起源、そして実験室で「生きたシステム」を作ろうとする現代の試みに関わるテーマです。科学者たちは、ある生命体が別の生命体を産むという経路ではなく、人間の設計と実験技術によって生命の構成要素を組み立てることで、再生産によらないかたちで生命をつくることが可能かどうかを探ってきました。

再生産とは、生物が自分の子孫をつくる生物学的プロセスです。自然界では、ふつう無性生殖か有性生殖のいずれかの形で起こります。

無性生殖では、1つの個体が他の個体から遺伝物質を受け取ることなく、自分と遺伝的に同一か非常に近いコピーをつくります。たとえば細菌は、二分裂という無性生殖の仕組みで増殖します。ヒドラや酵母のように、出芽で増える生物もいます。これに対して有性生殖では、ふつう配偶子と呼ばれる特殊な生殖細胞を介して、2つの個体の遺伝情報が組み合わされます。

再生産は生命のきわめて基本的な特徴なので、「再生産のない生命」がありうると言われると、直感的には矛盾して聞こえます。それでも、生物学的には「最初の再生産を行うシステム」が、それ以前の再生産をしない物質から生まれた可能性に余地があります。この移行がどのように起こりえたのかを探る科学が、アビオジェネシス(自然発生、生命の自然起源説)です。

再生産の前に「生命」はあったのか?

再生産を行わない要素から生命が出現しうるかという可能性は、長く議論されてきました。ここでの論点は、単に「自分をコピーできるかどうか」だけでなく、それが「生きている個体」と見なせるかどうかです。

現在の科学的理解では、今地球上に存在するすべての生命の最後の共通祖先は、およそ35億年前に生きていたと考えられています。これは生命がどのように始まったかを直接示すものではありませんが、課題の輪郭を示します。つまり、どこかの時点で「生きていない化学物質」から「再生産する生物」が生まれなければならなかったということです。

現代の合成生物学は、この太古の謎をまったく別の場で再訪します――実験室です。自然に生命がどう始まったかだけでなく、人間が意図的に「生命のようなシステム」や「生きた個体」をつくり出せるのかという問いが、そこでは問われています。

ウイルスでは答えきれない理由

この問題への近道のように見える例が、ウイルスです。科学者たちは、完全に非生物的な材料だけから、単純なウイルスをつくることに成功しています。一見すると、これは「生命をつくった」と言えそうに思えます。

しかしウイルスは、厳密な意味では「生き物」とは見なされないことが多い存在です。その理由は、ウイルスが完全な細胞と比べて極めて制約の大きい存在だからです。ウイルスはRNAかDNAがタンパク質殻に包まれたものにすぎず、自前の代謝を持ちません。代謝とは、生きた存在を機能させ続ける化学反応の総体です。代謝がなければ、ウイルスは自力で活動を維持したり、成長したり、内部の働きを継続したりすることができません。

またウイルスは、自力で再生産することもできません。宿主細胞の代謝装置を乗っ取ることでしか複製できないのです。つまり、別の生きたシステムに依存してはじめて増えることができます。これはウイルスが科学的に重要であることを示す一方で、「ゼロから生命をつくった」例としてはすっきりしない理由にもなっています。

したがって、非生物的な材料から単純なウイルスをつくれるようになったこと自体は大きな成果ですが、「親のいない本当の意味での生物」を人工的につくれたかという、より深い問いへの完全な答えにはなっていません。

はるかに困難な目標:生きた細胞をつくること

本当に生きている個体――たとえば単純な細菌のようなもの――を、先祖を持たない形でつくることは、ウイルスを合成するよりはるかに難しい課題です。細菌は完全な細胞であり、自前の内部プロセスと、より完結した生物としてのアイデンティティを持っています。現在の生物学の知見からは、そのようなものをある程度まで人工的に構築することは理論的には可能かもしれませんが、はるかに複雑な作業になります。

この目標に向けた最も印象的な進展の一つが、「合成ゲノム」を用いた研究でした。ゲノムとは、生物の持つすべての遺伝情報のセットです。この実験では、科学者たちが化学的にゲノムを合成し、それを既存の細菌に移し替えました。その結果、合成ゲノムが元々のDNAを置き換え、新たなM. mycoides(マイコイデス)個体が産生されました。

この実験が示したのは、「ふつうの再生産でコピーされたのではない、人工設計と実験室での組み立てによってつくられたゲノム」によって細胞を動かすことができる、という驚くべき事実でした。だからこそ、この研究は大きな注目を集めました。科学者が、遺伝情報を「読む」段階から「書く」段階へ進み、その情報で生命のプロセスを直接制御し始めたように見えたからです。

それでも「生命をつくった」と言い切れない理由

この成果をもってしても、問いが消えたわけではありません。むしろ一層鋭いものになりました。

これは本当にゼロから生命をつくったと言えるのか? 多くの科学者は、そうではないと主張しました。主な論点は2つあります。

第一に、化学的に合成されたゲノムは「自然界に存在するゲノムのほぼ1対1コピー」と説明されました。つまり、まったく新しい設計図というよりは、すでに自然界にあるゲノムと非常によく似たものでした。

第二に、ゲノムを受け取ったのは、もともと存在していた生きた細菌細胞でした。元のDNAは置き換えられたとはいえ、実験はすでに存在する生きた細胞の枠組みに依存していたのです。

このため、この細胞を「完全に人工的なもの」と呼べるかどうかについては議論が続いています。クレイグ・ベンター研究所は、この細胞を「合成細菌細胞」と呼びつつも、「ゼロから生命をつくった」とは位置づけていませんでした。むしろ、「合成DNAを用いて、すでに存在する生命から新しい生命を生み出した」と説明しています。

この区別は重要です。生きたシステムの「中身の設計図」を置き換えることは、システムそのものを非生物的な材料だけから一から組み上げることとは同じではありません。

人工生命は何に役立つのか

人工生命への関心は、「人間は生命をつくれるのか」というセンセーショナルな問いだけにとどまりません。研究者たちは、人工生命が生物学そのものを理解するための強力な手段になりうると考えています。

伝統的に、生命を研究する主要な方法の一つは、生命を「分解する」ことでした。細胞や遺伝子、タンパク質、さまざまなプロセスを一つずつ切り分けて解析します。それに対し、もう一つのアプローチは「つくって学ぶ」ことです。遺伝的なシステムを組み立て、それを細胞の中で機能させることができれば、生命が一つのまとまった仕組みとしてどう働いているかをより深く理解できるかもしれません。

合成細胞研究の提唱者たちは、「生命を分解して調べる」だけでなく、「構築して学ぶ」ことによっても生命を理解できると主張しました。また、生命と機械の境界を押し広げ、その二つが重なり合う領域まで到達することで、本当にプログラム可能な生物を生み出せる可能性も指摘しました。

ここでいう「プログラム可能な生物」とは、コンピュータがソフトウェアによって動作を指示されるのと同様に、設計された遺伝情報によってそのふるまいを制御できる生きたシステムを意味します。この発想は、合成生物学をめぐる期待と不安をともに象徴しています。生命は「観察するもの」であるだけでなく、「設計・工学的に操作されるもの」にもなりうるからです。

「真の人工生命」まであとどれくらい?

この分野の研究者たちは、「真の合成生化学的生命」の創出は、現在の技術水準から見て、比較的手の届く範囲にあると述べています。また、その試みは、人類を月に送るのに要した莫大な費用に比べれば、はるかに低コストで済む可能性があるとも指摘されています。

とはいえ、それが簡単な挑戦であるという意味ではありません。あくまで「技術的なハードル」は、一般に想像されるほど高くないかもしれない、という程度の話です。一方で、科学的・概念的なハードルは依然として大きいままです。たとえある合成細胞が「生命のように」ふるまったとしても、それを「改変された生命」「人工生命」「ゼロからつくられた生命」のどれと見なすべきか、人々は境界線をどこに引くべきかを問い続けるでしょう。

技術だけでは片づかない問い

人工生命をめぐる議論は、実験手法や技術だけの問題ではありません。定義の問題でもあります。

人間が設計したDNAを含んでいれば、それだけで「人工生命」と呼べるのか? 既存の細胞に依存しているなら、それは本当に「新しい生命」なのか? ウイルスのように再生産はできても自前の代謝を欠く存在は、「完全な意味での生物」と言えるのか? こうした問いは、生物学が単なる生物種のカタログではなく、「境界」と「カテゴリー」を扱う科学でもあることを示しています。

再生産はふつう、親から子へと続く生命の連続性を保証します。合成生物学は、このパターンに対し、「連続性を『構築』で置き換えられるのか」という挑戦を投げかけています。現時点で得られている答えは、興味深いものの、まだ不完全です。科学者たちは非生物的な材料から単純なウイルスをつくり出し、また合成ゲノムを既存の細菌に導入することにも成功しました。しかし、「完全に非生命の物質から、本当に生きている個体をつくり上げる」という究極の目標は、現在もなお科学が挑み続ける大胆なフロンティアの一つのままです。

なぜこのテーマはこれほど人を惹きつけるのか

「生命をつくる」というアイデアには、特別な魅力があります。生命とは何か、どこから始まるのか、再生産は本質なのか、それとも単に最も一般的な生命のあり方にすぎないのか――人類が古くから抱いてきた問いが、現代の研究課題として凝縮されているからです。

少なくとも今のところ、生命が生まれる主要な経路は再生産であり続けています。しかし合成生物学は、生命の「機構」が編集され、書き換えられ、そして将来は完全に組み立てられる可能性があることを示しました。それが「生命を創造した」と言えるのかどうかについては、依然として議論が続いています。科学はすでに前進しており、その定義のほうが、まだ後から追いつこうとしている段階なのです。

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