私たちは、言語をきれいに枝分かれした家系図のように思い描きがちです。幹には共通の祖語があり、そこから枝が分かれ、さらに枝分かれして、最終的に現在話されている言語へとつながっていく――そんなイメージです。この比喩は便利で、多くの場合、実態もある程度は反映しています。言語はたしかに過去の言語から変化して生まれたものであり、共通の祖先を持つ言語は「語族」としてまとめることができます。
しかし、この「きれいな樹形図」を文字どおりに受け取りすぎると、かえって誤解を招きます。言語は必ずしも、ある時点でくっきり分かれて、その後ずっと別々に存在し続けるわけではありません。隣り合う言語共同体は、語彙や発音、文法パターンをたえずやり取りし続けます。広い地域にまたがって、ある話し方が徐々に別の話し方へと移り変わっていくこともあります。ここで重要になってくるのが、「波状モデル」や「方言連続体」といった考え方です。
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なぜ言語学者はまず家族樹モデルを使うのか
語族とは、共通の祖語から分かれてきた一群の言語のことです。この意味で、言語は「遺伝的に」関係があると表現されます。ここでいう「遺伝的」とは、あくまで歴史的な系譜関係を指しており、生物学的な遺伝とは別物です。
身近な例として、ロマンス諸語があります。スペイン語、フランス語、イタリア語、ポルトガル語、ルーマニア語、カタルーニャ語、ロマンシュ語は、いずれも俗ラテン語から生まれました。このようなケースでは、「一本の言語が時間とともに分岐して複数の言語になった」という家系図的なイメージが自然に感じられます。
こうした分岐は、地理的な分離をきっかけに起こることがよくあります。同じ祖語の地域方言がそれぞれ別々の変化をたどるうちに、長い時間をかけて互いに通じにくい別言語へと分かれていくのです。
この意味で、樹形図モデルは非常に強力な出発点になります。共通の祖先を示し、「どの言語同士がより近縁か」を視覚的に表せるからです。たとえば、インド・ヨーロッパ語族の中のゲルマン諸語のような「下位語族」は、語族全体よりも新しい共通祖語を共有しています。
「一度分かれた枝はもう交わらない」というイメージの落とし穴

樹形図モデルは、一度言語が分かれたら、その後は互いに影響しないかのような印象を与えがちです。しかし、現実はもっと入り組んでいます。
接触している言語どうしは、とくに借用を通じて互いに影響し合います。それは近縁な言語同士でも、遠縁の言語でも、まったく無関係な言語同士でも起こりえます。英語にはフランス語が、ペルシア語にはアラビア語が、ハンガリー語にはドイツ語が、タミル語にはサンスクリットが、日本語には中国語が影響を与えてきました。
このことは、「似ているからといって必ずしも共通の祖先を持つとは限らない」ことを意味します。ある言語群が似て見えるのは、同じ祖語から来ているからではなく、強い言語接触の結果である場合もあります。たとえばモンゴル諸語、ツングース諸語、テュルク諸語は多くの類似点を共有していますが、多くの研究者は、これらが共通祖語によるものではなく、長期にわたる接触の結果だと考えています。
このように、樹形図モデルは系譜関係を示すには有効ですが、「分岐したあとに何が起きるか」を示す力は弱いのです。現実には、隣り合う言語はその後もなお相互作用を続けます。
波状モデル――続いていく言語接触を描くもうひとつの図式

そこで登場するのが「波状モデル」です。言語を単純に枝分かれして独立していくものとして扱うのではなく、分岐したあとも接触が続き、互いに影響し合うという点に光を当てるモデルです。
波状モデルでは、「等語線(isogloss)」という概念で言語変種をまとめます。等語線は、ある特定の言語特徴――たとえば特定の発音や文法形式――が見られる範囲の境界線のことです。樹形図と違って、こうしたグループ分けは互いに重なり合うことがあります。そして、この「重なりこそが重要」です。言語変化は水面の波紋のように広がり、ある地域には届いても、別の地域には届かないかもしれません。しかも、特徴ごとに広がり方のパターンは異なるのです。
そのため、波状モデルは、言語接触が盛んな地域での複雑なつながりを理解するうえでとくに有用です。関連する・隣り合う変種が完全な孤立状態で進化していくわけではないという現実をとらえているため、厳密な樹形図よりも現実的だとみなされることが多いモデルです。
この波状モデルを応用し、複雑にもつれ合った言語ネットワークの中で遺伝的関係を見極めるための「歴史グロットメトリー(historical glottometry)」という手法も提案されています。
方言連続体――話し方が少しずつ変わり続ける空間

樹形図的な発想がとくに破綻しやすいのが、「方言連続体」と呼ばれる状況です。
方言連続体では、地理的に連なった地域を見ていくと、話し方が少しずつ変化していき、どこにもはっきりした境界線がありません。隣り合う地域同士では容易に意思疎通できるものの、連続体の端から端へと離れていくにつれ、違いが積み重なり、最終的には互いの言葉がほとんど理解できなくなることさえあります。
「相互理解可能性」とは、話者同士がどれだけ互いの話す言葉を理解できるかという指標です。方言連続体では、「ここから先が別の言語だ」と一線を引ける明確な地点がない場合もあります。
アラビア語は、この問題の代表例です。隣接する地域同士の話し方は少しずつ連続的につながっていますが、両極端の変種はあまりに違いが大きく、とても同じ一つの言語とは扱えないほどです。
このような事情があるため、「ある語族の中にいくつの言語が含まれるか」を数える作業は、非常に難しくなります。話し方が広い地域にわたって少しずつ変化している場合、「どこに線を引くか」は、純粋に言語だけの問題ではなくなってくるのです。
では、何をもって「別の言語」とみなすのか?
その答えは、いつも明快とは限りません。ある話し方を「一つの言語」とみなすか、「別の言語の方言」とみなすかは、純粋な言語学的基準だけでなく、社会的・政治的な要因にも左右されます。
そのため、資料によって「この語族に属する言語はいくつあるか」という数が大きく違うことがあります。どこまでを別言語とし、どこからを一つの言語の方言とするかという「分類上の選択」によって、カウントが変わってくるからです。
日本語と琉球諸語を含む「日琉語族(Japonic)」は、この点をよく示す例です。その分類は、ひとつの言語とみなす立場から、ほぼ二十の言語を含むとする立場まで、大きく揺れ動いてきました。かつて琉球のことばが「日本語の方言」とされ、日琉語族という枠組みが認められていなかったころ、日本語は「語族を持たない単独言語(言語孤立)」として扱われていたのです。
こうした分類の変化は、言語分類が単に「違いを見つける」作業ではないことを物語っています。「どういう違いに重みを置き、どう解釈するか」という判断が常に伴うのです。
家族関係か接触かを見分けるために
接触によっても類似が生まれる以上、言語学者には「本当に共通の祖先を持つのか」を見極める手法が必要になります。
もっとも強力な証拠のひとつが「規則的な音変化」です。音変化は多くの場合、一定の規則性をもって起こるため、これを利用するのが比較言語学の方法です。
比較法では、まず「同源語」かもしれない語のペアを集めます。同源語とは、共通の祖語にあった一つの語から、それぞれの言語へと受け継がれた一群の語のことです。意味と音形が似ている語は候補になりますが、それはあくまで出発点にすぎません。
研究者は次に、「たまたま似ているだけではないか」「どちらか一方から借用されたのではないか」という二つの可能性を退けようとします。もし多くの語ペアで、音の対応関係に一貫したパターンが見いだされ、しかも借用では説明できない場合、共通の祖先語からの継承とみなすのがもっとも妥当だと判断されます。
この方法を使えば、語族がさかのぼる先にある祖語の姿を、ある程度再構することも可能です。祖語が直接の文献資料として残っていない場合でも、その子孫である言語を比較することで、音や文法の特徴を推定できるのです。インド・ヨーロッパ諸語の祖語を再構した「再建プロト・インド・ヨーロッパ語」は、その代表例として知られています。
樹形図は有用だが、それだけでは不十分
語族という概念自体は、今なお有効で意味のあるものです。多くの言語は、どの語族に属するかについて大きな異論なく分類できます。たとえ、その語族と他の語族との「より深い」関係がまだ分かっていなかったとしてもです。そのため、家族樹モデルはいまも標準的な図示方法として使われています。
しかし、このモデルにも限界があります。樹形図の内部構造は、どの分類基準を重視するかによって変わりうると指摘されています。樹形図の有効性を認める研究者のあいだでも、「どの言語をどこに配置するか」について意見が分かれることは少なくありません。
分岐後に接触が言語を作り変えていくと、その不確実さはいっそう大きくなります。複数の言語に共通して見られる新しい特徴は、共通祖語から受け継いだ「共有革新」である可能性もあれば、近隣の言語同士が影響し合った結果できた「地域的特徴(アレアル・フィーチャー)」かもしれません。とくに、地理的に接した複数の言語が、語族は異なっていても構造上の特徴を多く共有している地域は「言語連合(シュプラッハブント)」と呼ばれます。ここでの類似は、共通祖語ではなく長期的な接触の産物です。
つまり、言語同士が似ている理由は一つではありません。樹形図は「系譜」を描き、波状モデルは「広がり」を描きます。実際の言語史の多くは、その両方を含んでいるのです。
言語史を理解するうえで、なぜこれが重要なのか
樹形図だけを見ていると、言語の歴史は実際よりもずっと「きれい」で単純に思えてしまいます。あたかも、枝が分かれたらそこで互いの関係は途絶え、それぞれが孤立して発達していくかのように見えるのです。しかし実際の人間社会は、移動し、交易し、共存し、互いに影響し合ってきました。言語もまた同じです。
だからこそ、方言連続体は境界線をぼかし、分類は時代とともに変わりうるのです。そして、語族の中に「いくつ言語があるか」という数字も、誰がどの基準で数えるかによって大きく変わりえます。細かく見ていけばいくほど、言語は「はっきりした境界線が引かれた地図」というより、「徐々に移り変わる景観」に近い姿を見せます。
樹形図は今なお強力なイメージです。系統、近縁関係、語族内部の構造をわかりやすく示してくれます。しかし、それだけが物語のすべてではありません。本当に言語がどう変化していくのかを理解するには、「枝の上を流れる波紋」もあわせて見なければならないのです。