「政府」と聞くと、大統領や首相、国会や議会、テレビで論争している政治家たちを思い浮かべる人が多いでしょう。ですが、政府はそれよりずっと広い概念です。ごく基本的には、政府とは国家や共同体を統治するための仕組みそのものを指します。法律をつくり、政策を実行し、税を集め、公共サービスを提供するという、国や地域を組織的に運営するための仕組みです。
つまり政府とは、上にいる少数の目立つ人たちだけを指すものではありません。制度、ルール、役割分担、意思決定のプロセスが折り重なった大きな構造全体を意味します。多くの国では、その根本に憲法があり、統治の原則や基本的な政治思想が定められています。
政府はまた、どのような政策をとるかを決め、実際に実行する仕組みでもあります。教育、医療、交通、経済などをめぐって社会が議論するとき、多くの場合それを整理し、公的な課題として位置づけ、対処していく枠組みが政府です。
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「システム」としての政府
政府を理解するうえで役に立つのは、ひとつの役所やポストではなく「システム」として捉える考え方です。広い意味での政府は、通常、立法・行政・司法という三つの主要な部分から成ると考えられています。
立法は法律をつくる役割を担う部門です。多くの国では国会や議会がこれにあたります。行政は、法律や政策を実際の行動に移す部門です。大統領や首相、各大臣とそれを支える官庁機構がその中心となります。司法は、裁判所や裁判官を通じて法律の意味を解釈し、個々の事例にどのように適用するかを決める部門です。
この三つは、しばしば「政府の三権」や「三つの枝」と呼ばれます。それぞれが固有の権限や役割、責任を持っています。体制によってはこれらの権限を比較的はっきり分ける「権力分立」の仕組みもあれば、とくに議院内閣制や半大統領制などでは、三つの権限が重なり合う「権力融合」に近い仕組みもあります。
国によって具体的な制度設計は異なりますが、基本的な発想は共通しています。すなわち、政府とはルールをつくり、それを実行し、その意味を判断するための組織だった枠組みだということです。
「政府」という言葉の元々の意味

言葉そのものも、強いイメージを帯びています。「government(ガバメント)」という語は、舵を取るという意味のギリシア語の動詞 κυβερνάω(kubernáo)に由来しています。舵は船を水上で進ませるときに向きを決める装置です。つまりこの語源には、「統治する」とはある共同体や国家の「舵取り」をすることだ、というイメージが込められています。
この比喩は古代から用いられ、プラトンの有名な「国家という船」のイメージにも登場します。このたとえが記憶に残るのは、本質的な点をとらえているからです。政府は、単に権力を持つこと自体が目的なのではなく、社会という船の進路を定め、導き、コントロールしていく役割を担っているのだ、という点です。
こうした古い意味づけは、現代の政府にも驚くほどよく当てはまります。国家は、対立や成長、社会的な圧力や変化の中を進んでいかなければなりません。「舵取り」という発想は、政府が単なる権力の行使だけでなく、社会全体の調整や秩序の維持にも関わっている理由をうまく説明してくれます。
政府はなぜ生まれたのか

人類史の中で政府がいつ生まれたのか、正確な起点はわかっていませんが、早い段階の政府は数千年前にさかのぼります。約5000年前には、最初の都市国家が現れました。紀元前3〜2千年紀になると、シュメール、古代エジプト、インダス文明、黄河文明など、より大きな統治単位へと成長した例も見られます。
政府誕生の大きな要因としてよく挙げられるのが農業です。新石器革命ののち、農耕によって食料をより効率的に余分に生み出せるようになりました。余剰食糧とは、生存にただちに必要な量を超えて食料が確保できている状態を指します。これは重要な変化で、一部の人々が農作業以外の仕事に専念できるようになったことを意味します。
その「別の役割」の中には、権力を行使する役割や、新しい統治のあり方を試みる役割、増え続ける人口を管理する役割などが含まれていました。農耕社会が大きく、人口密度も高くなるにつれ、人と人との関わりは増え、社会的な摩擦や圧力も複雑になります。政府は、そうした圧力を整理し、秩序立てる方法として現れたと考えられます。
もうひとつの説明として、インフラ、とくに水利インフラとの関係があります。灌漑などの大規模な事業には、中央集権的な管理や複雑な社会組織が必要になることが多く、メソポタミアのような地域では、そうした調整機能が政府の発達を促したとみられています。同時に、考古学的には、より平等主義的で分権的なかたちのまま高い複雑さと成功をおさめた社会も確認されており、政府のかたちは決して一通りではなかったこともわかっています。
政府のかたちは世界共通ではない

政府という基本的な考え方は世界共通ですが、その具体的な姿は大きく異なります。政治学では現代の政治体制を、民主政、全体主義政権、権威主義政権といった類型に分け、その中間にさまざまなハイブリッド型があると捉えることがよくあります。君主制を独立したカテゴリーとして扱ったり、他の類型との混合形態とみなす分類もあります。
歴史的に見ると、政府の形態は君主制、貴族制、名誉制(ティモクラシー)、寡頭制、民主制、神権制、僭主制(専制)など多岐にわたります。これらは必ずしも互いに排他的ではなく、複数の特徴が混じり合った混合政体も一般的です。現実の政府は、いくつかの類型の要素を組み合わせて成り立っていることが多いのです。
政府を分類するのが難しい理由のひとつは、紙の上に書かれた「建前」と、実際の運用が必ずしも一致しないことです。国家には憲法上の「公式の顔つき」があっても、実際の動きはまったく違う場合があります。また、政党やイデオロギー、制度が複雑に絡み合うため、政治的なラベルがかえって状況をわかりにくくすることもあります。
だからこそ政府を理解するには、まず大まかな構造を押さえることが出発点になります。すなわち、「誰が権力を持っているのか」「その権力はどのように手に入れたのか」「どのように行使しているのか」という三つの問いです。
政治的な権力はどうやって手に入るのか
どのような政府であれ、最も重要な問いのひとつは「支配者がどうやって権力の地位につくのか」です。この記事では、その主な経路として「選挙による争奪」と「世襲による継承」の二つが挙げられています。
選挙による争奪とは、指導者や代表者が選挙を通じて権限を得ることを指します。多くの民主制国家や共和制国家では、市民が直接または間接的に投票し、誰に統治を任せるかを選びます。世襲による継承とは、伝統的な君主制に見られるように、権力が家系や血筋に沿って受け継がれていく仕組みです。
この違いは、その政府が自らの正当性をどう説明するかに大きく影響します。選挙を基盤とする政府は、自らの権限が市民から委ねられたものだと位置づけます。世襲を基盤とする政府は、その権威を家系や継承された身分に結びつけて語ることが多いのです。
もっとも現実の政治体制は、そのどちらか一方だけというより、複数の制度や伝統が入り混じった、単純なラベルでは括りにくい姿をとることが少なくありません。
三つの基本機能と私たちの暮らし
立法・行政・司法という三つの機能は、抽象的に聞こえるかもしれませんが、日常生活に直接つながっています。
立法は、社会がどのようなルールのもとで動くのかという枠組みそのものをつくり出します。行政は、そうした法律や政策を、行政運営や取締り、公共サービスの提供といった具体的な行動に変えていきます。司法は、紛争や争いごとを裁き、法律が実際のケースにどう適用されるかを判断します。
これらの働きは、税金から交通、教育にいたるまで、あらゆるものに影響します。公共政策とは、政府が直接・間接に行う活動の総体だと考えることができますが、その対象には、教育、医療、雇用、金融、経済、交通など、社会のほぼすべての側面が含まれます。
政府が自分から遠い存在に見えるときであっても、実際には日々の生活の深いところに入り込んでいます。どのようなサービスが存在するのか、公的なお金が何に使われるのか、社会問題にどう対処するのか——そうしたことに政府は大きな影響を与えているのです。
政府と公共サービス
政府を理解するもうひとつの角度は、「何を提供しているか」です。政府の所有する財産、公企業、公共サービス、公務員や政府職員などを合わせたものは、経済の「公的部門(パブリックセクター)」を形づくります。
現代の先進国では、公共サービスは人々の生活に欠かせない大きな部分を占めています。一方、開発途上国では、そうしたサービスの整備がまだ十分ではないことも多くあります。たとえば、上水道サービスが中流層以上の比較的裕福な人々にしか行き渡っておらず、政治的な補助金政策などが、より貧しいコミュニティへのサービス拡大に充てられる財源を制約してしまう場合があります。
ここには政府の重要な性格が表れています。政府はルールをつくるだけでなく、「行政」を担っているという点です。サービスやインフラ、国家機能を具体的に組織し運営していく実務が、政府の仕事の大部分を占めています。
この「行政」の側面は、20世紀半ばにマックス・ヴェーバーの官僚制理論が注目されるようになってから、本格的な研究対象として大きく取り上げられるようになりました。そこから公共行政学への関心が深まりました。
政府は「与党」とは別物
多くの国で、政府運営の中心には政党のメンバーがいます。政党は役人や候補者の活動を調整する役割を持っています。複数政党制のもとでは、複数の政党が政府のポストをめぐって競い合います。別の体制では、一つの政党が長期的に支配的な地位を占めたり、事実上または形式上、唯一の統治主体となったりすることもあります。
とはいえ、政党と政府は同じものではありません。政党は政治的な力を組織し動員するための「乗り物」であり、政府はそうした力が実際に働くための、より大きな制度的な枠組みです。
この違いを意識すると、このエピソードの中心的なポイントが見えてきます。すなわち、「政府とは政治家以上のものだ」ということです。政治家は政府システムの一部を率いたり代表したりしますが、政府にはそれ以外にも、国家を動かし続けるために必要な制度、ルール、各部門、職員、サービスなどが含まれています。
政府をシンプルに捉えるなら
端的にまとめるなら、政府とは共同体や国家のかじ取りを行う、組織化されたシステムだと言えます。法律をつくり、政策を実行し、税を集め、公共サービスを提供し、立法・行政・司法といった諸制度を通じて公的な事柄を管理していく仕組みです。
このように見ていくと、政府は「ひとりの支配者」というより、「共同生活のための枠組み」に近い存在だとわかります。それは民主的であることもあれば、権威主義的、君主制的、あるいはその混合であることもあります。中央集権的な場合もあれば、より分散的な場合もあります。しかしどのようなかたちをとるにせよ、「権力がどのように組み立てられ、社会がどのように方向づけられているか」を定める構造こそが政府なのです。
そして、あの古代ギリシアのイメージはいまもなお、驚くほどうまく当てはまります。政府は国家という船の「舵」です。その舵を握る具体的な手は変わっても、任務は変わりません——社会をどこへ、どのように進ませるのかを決め、導いていくことです。